身辺雑記〜Almsgiving and Feeding Birds(僧侶と鳥にタンブンする)
- akiyamabkk
- 2024年11月18日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年12月26日
毎朝の風景だが、出家していた親戚の若者が雨安居あけに還俗する。だから記念として撮っておいた。最後尾を歩く若者である。
以前、雨安居の3ヶ月(パンサー)は、若者の出家期間のスタンダードだったようだが、今では、随分に長い方だろう。会社勤めや学業のある若者には、長期の出家休暇は難しい(出家休暇の制度自体はまだあると聞く)。長く出家するのは、何かしら人生で大きな問題にぶつかった人が多いようだ。
この村の寺の住職は、今、30半ば、大学を出て社会に出たあと大失恋を経験し、それがきっかけで出家した。僧生活が性に合ったようで、パンサーを超えても修行を続け、生まれた村の住職となった。今年、寺の本堂を建立するという大事業を成し遂げて、名僧として近隣に名前が知られ始めている。(托鉢に来た僧の中にはいない。住職が托鉢に出ることは少ないのだ)
実は、この若い住職、数年前にもある女性に惚れて、還俗騒動を起こしているが、これはブッダも経験した人間的な迷いであって、自分はこの人が好きだし尊敬もしている。多少の曲折はあっても、村人もこの住職が好きなのである。自分には信仰がないし、面倒なので進んで住職と付き合うことはしないが。
むしろ、こういう人の方が、ちゃんとしたお坊さんになると思っている。普通の村人と同じ悩みを悩んできた人だから・・・。若くして僧房に入り学僧として育った人は、仏教を援用した説教はうまいが、僧として終わりを真っ当した人をあまり知らない。世間的に有名になった僧侶は、大概、スキャンダルを暴かれて還俗し、「僧衣を脱げばただの人だった」ということになる。
この間も、今、大騒動になっているオンラインマルチビジネスのセミナーに招かれて講演し、批判されると逆ギレして馬脚を現した有名な学僧、説教僧がいた。この人なども、若い頃は、白皙の青年僧で、お釈迦さまの教えをオウムのように口走る姿が、純粋な感じで悪くなかったが、最近は、長年の僧侶生活の澱が溜まって、どんよりした印象である。
話が逸れた。私の奥さんの日課は毎朝5時に起きて、飯を炊く事である。その炊き立ての米を托鉢に来た僧侶にやり、それから、「飯をくれ、飯をくれ」と暗いうちから煩く囀りあっている小鳥たちに、残りの米やる。やってくるのは大概がスズメだが、それよりも少し大きめのノックイヤン(นกเอี้ยง)という鳥も時折来る。ウィキペディアによれば、日本語でインドハッカ(印度八哥)もしくはカバイロハッカ(樺色八哥)と呼ばれるスズメ目ムクドリ科の鳥だそうだ。目の横の黄色い斑点が印象に残る小鳥だ。
以下、別の日に撮影したノックイアン。
托鉢の日課に何の意味があるのか分からないが、私は毎日それを欠かさない奥さんに、常日頃、感心している・・・というか羨ましいのだ。もちろん、本人の前で言った事はない。今朝も、中国のショートドラマを携帯で好んで見ている奥さんに「何という低劣なものを見ているんだ」と文句を言ったら、怒って、半日、口を聞かなかった(笑)笑い事ではなく、そのうち捨てられるだろう。
ではでは
<了>