象まつり元年~観光立国事始めのタイ
昨年11月、長年タイ観光の目玉だったスリンの象祭りが60周年を迎えた。コロナ禍で開催が危ぶまれる中、無事、行事を行えたのは幸運としか言いようがない。象祭りが終わったほんの数週間後には、外国人労働者を中心に感染が拡大し、コロナ第二波の襲来により大規模イベントが次々と中止に追い込まれたのである。
さて、左に掲載したのは、タイ観光公社の発行するブックレット。表紙には2年目、第四号。仏歴2504年(西暦1961年)11月発行、一冊1.5バーツとある。今のレートなら5円くらいだろうか。象祭りの初年は1960年だから、象祭り2回目の特集号である。
スリンの象祭りは、発足したばかりのタイ観光公社が初めて力を入れた観光イベントだった。公社の記録には、観光客約300人が、バンコクから特別列車にのってスリン駅に着き、待機していた軍のジープに分乗して、52キロのがたがた道を2時間かけて、象の村があるタートゥム郡に到着したとある。ほとんどの観光客が、タイの田舎など見たことがない、外国人やバンコク人士だったろうから、地の果てまでやってきてお目当ての象を見た彼らの興奮や、驚きは想像に難くない。
タイの映画人は、この題材を見逃す手はないだろう。木下惠介の傑作「カルメン故郷に帰る」のような情景を彷彿とさせるではないか。
以下、象祭り50周年の時に書かれたピチャイ・ノーイワット氏の回想を抄録。ピチャイ氏は観光公社発足当初からのスタッフで象祭りの運営に携わった
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・・・「象祭り」、英語では、Elepahnts Round Up と呼ばれるこの行事は、今では、世界中に名の知れた一大イベントで、スリン県民のプライドの源泉であり、タイ観光公社にとっても輝かしい成功例である。当時はタイ観光公社のツアーでのみ見学が可能だったが、交通機関の発達により、民間の観光ツアーや個人旅行客も、スリン県にやってきて象祭りを楽しめるようになっている。・・・
1960年、当時首相だったサリット・タナラット元帥は、観光業育成のために「タイ観光機関」(現在のタイ観光公社の前身)を設立した。英語名は、Toursim Organizaiton of Thailand (T.O.T)。そして、くしくもその同じ年に、スリン県タートゥム郡の郡長だった、ウィナイ・サワンナカートが第一回の「象祭り」を開催したのである・・・
〇第一回象祭り
・・・・私は第一回の象祭りを自分の目で見ていないが、ウィシット・シーナーワー氏や、サムカン・チャルーンピポップ警察中尉から聞いた話で、おおむね正確に、第一回目の象祭りを再現できると思う。
最初の象祭りは、タートゥム郡郡長のウィナイ・サワンナカートが、郡役場新築を祝って催した祝賀行事の一部として行われた。祝賀イベントは、昼間は屋台が出て、スポーツ大会など様々面白い催しがあり、夜は伝統芸能を見せたのだが、中で一番人気を呼んだ出し物は、豪勢な象のショーだった。この象のショーは、1960年11月19日、タートゥム郡の旧飛行場跡地、現在、タートゥムプラ―チャースームウィト学校がある場所で行われた。
象はすべてタークラン村から来た。(※タークラン村には、現在、観光名所「象センター」がある)この村には、長年クワイ族の象使いが住み、象を生け捕りにして訓練することを職業にしていた。村には200頭はどの象がいたが、この日集まったのは60頭ほど。その日の出し物は、象使いによる象狩りの実演、象のかけっこ、パレードなど。ショーが終わった後、祝賀イベントの参加者は、象の背中に乗ってムーン川沿いの景観を楽しむこともできた。
テレビや新聞がその光景を報道すると、特に外国人の間で大きな関心をよんだ。スケジュールの問い合わせが殺到して、観光公社は対応しきれないほどだった。そこで、タイ観光公社は、ショーの内容や受け入れ設備を改善すれば、スリン県とタイ東北部観光の目玉になると考え、第二回目の1961年から、象祭りを年中行事化することにしたのである。
〇観光公社が象祭りの主催者に
タイ観光公社、タイ国有鉄道、スリン県の三者が主催者となり、第二回象祭りは、11月19日、前年と同じ、タートゥム郡の旧飛行場跡で行われることになる。観光公社が受け持ったのは、宣伝、パンフレットの作成、英語への翻訳、タイ国鉄との連絡調整、予約の受付、旅行クーポンの民間会社や個人への販売であった。ショーの内容を決めたり、現場にいてスケジュールを管理するスタッフ、観光客を案内するガイドも公社が派遣した。
スリン県は会場の設営を担当した。椅子の設置や、食事をする場所の用意、スリン駅から観光客をタートゥム郡まで運ぶジープの手配も県の仕事だった。ショーの運営も、公社側と話し合いながら、一緒に行った。タイ国有鉄道は、スリン行きの特別列車を提供した。ボギー式2等寝台列車である。タイ観光公社の用意したガイドが、バンコクースリン間の往復の車中、付きっ切りで乗客の世話をした。
〇象観光へ初めての特別列車
タイ観光公社が、「特別列車によるスリン象祭り観光ツアー」を売り出すと、外国人観光客などからの反応はすこぶる良く、ツアーは瞬く間に売り切れた。
1961年11月18日午後8時、スリン行き特別列車はバンコク駅を出発した。コンパートメント一つにつき公社のスタッフが一人ついて車中で便宜をはかった。列車は順調に運行され、翌19日明け方6時、スリン駅のホームに到着する。
バンコクから到着した300人の乗客は、始めて見る田舎駅の風景や、スリンの町の風情に感動し目を見張っていた。迎えに来た県のスタッフが、待機していた軍のジープに観光客を分乗させて目的地のタートゥム郡に向かった。
当時スリン市内からタートゥム郡へは、隣県ローイエットへ向かうルートをとっていた。距離はわずが52キロしかなかつたが、未舗装の、赤土むき出しのがたがた道だったから、軍のジープに乗っていくしかなかったのである。スリン象祭りを初めて見学する歴史的な観光客は、道中、激しく揺すぶられ、誇りにまみれる難儀を経験しなければならなかった。午前8時にタートゥム郡に到着した時には、全員の体が土埃にまみれ真っ赤になっていた。それでも文句を言うお客は一人もいなかったと言うが、これは、公社のスタッフが、道中の大変さをあらかじめ説明していたからかもしれない。
観光客たちが休憩し、顔と手足を洗って朝食を取った後、午前9時、第二回目のスリン象祭りが始まった。この年集まった象は、前回より増えて約100頭。現地にはサムカン・チャルーンピポップ警察中尉が派遣され、象の訓練と会場の秩序維持を担当していた。
象祭りの出し物は第一回よりも豊富になった。象のショーのほかにご当地文化を紹介する演目が加わった。象祭りはまず、「パカムの綱」と呼ばれる象の捕獲に使う綱に、象使いの師匠が祈りをささげる儀式から始まる。象狩りの出陣の儀式である。それから野生象の捕獲の実演、象のショーの合間には、地方の演芸、踊りが織り込まれる。100頭の象の練り歩きの次は、象の徒競走、象との綱引き、最後は、騎馬による象捕獲の実演で締めくくられた。
ショーが終わった後、観光客は象の背中に乗ってムーン川沿いの景色を楽しみ、象の水浴びを見学してから、昼食、休憩。再び軍のジープに乗って、スリン駅に戻ったのが15時20分。シャワー休憩、夕食のあと、午後8時、特別寝台列車はスリン駅を出発し、翌日7時にバンコク駅に到着して、歴史に残るスリン象祭りツアーは無事終したた・・・・
以下省略・・・
この翌年、スリン象祭りは、閣議決定により国の重要行事に指定され、タイを代表する観光イベントに成長していく。そして、昨年11月、コロナにより象の頭数や参観者数を制限した中ではあるが、めでたく記念すべき60周年を迎えたのである。
<了>