街角ピックアップ〜タイ「てんや」チーズ天丼の衝撃!そんなもんタイ人が食うの!?
と、オーバーリアクション気味だが、こんなもの日本人でも食べないだろう。チーズオムレツの上に、エビ天を乗せたものらしいが、タイ人がビザなどで、チーズを積極的に食べ始めたのは、ここ10年くらいの話ではないか。
タイ人に乳製品は縁遠い存在で、学校給食に牛乳が導入されたのもつい30年ほど前、1992年のことである。「暗黒の5月」事件(クーデター政権の継続に抗議するデモ隊に治安部隊が発報し多数の死者が出た)の後、前国王の仲裁で軍事政権が崩壊し、民主党を中心とした民政内閣が組織された年である。学校給食への支援が国家経済社会開発5カ年計画に明記され、前国王陛下の「お腹を空かせた子供が一人もいない社会を」のお言葉をスローガンに、タイ政府が、児童の栄養状態の改善に本腰を入れ始めた時期だ。民主政権が誕生し、「タイはこれから良くなる」と誰しもが思えた時代だった。ちなみに自分は、この年に初めてタイを訪れている。
その頃、首相を務めたチュアン・リークパイ元タイ民主党代表が、政治家人生を振り返って、学校給食への牛乳の導入を自分の一番の政治的業績として挙げていた。そう語るインタビューを聞いていて「タイの政治エリートにとっては牧歌的な時代だったのだな」と感慨深かった。確かに、当時としては画期的な業績であり、必要な施策でもあったろう。しかし、その後、タクシン首相のタイ愛国党が「30バーツ医療制度」を掲げて選挙に大勝したことで、国民の政治に対する要求レベルは格段に、しかも、不可逆的に上がってしまったのである。今、このチュアン首相のノスタルジックな述懐を聞いて同意するタイ人は少ないだろうし、鼻で笑う人がほとんどではないかと思う。チュアン氏はまごうかたなき「過去の人」「時代遅れの政治家」になってしまったのだ。
タイ民主党の最近の凋落ぶりは目を覆うばかりだが、その凋落の原因は、愛国党と決定的に対立し、有権者の政治意識の「革命的」変化についていけずに、新しい政治のトレンドを「大衆迎合」「金権支配」と決めつける守旧勢力と結託したことにあると思う。今回、民主党は、その節さえも曲げて、タイ貢献党(タイ愛国党直系の後継政党・・・の後継政党)率いる連立内閣に参加した。これで南部の中核支持層にも見放され、次の選挙で党は雲霧散消するに違いない。そうなっても、タイで最初の民主政党を看板とするこの党に同情するタイ人は少ないと思う。自業自得なのである。
※日本の自由民主党や民主党を引き合いに出して、「日本も同じだ」などと雑なことは言わないで欲しい。タイの民主党のようにクーデターを許容する「民主主義政党」などあり得ない話だが、日本の「民主」とつく政党は、「選挙で負ければ政権を引き渡す」という最低限の民主主義のルールは守るのである。両者を対等のレベルで比較することは、俗に言う「味噌もクソも一緒にする」というやつだと思うし、レトリックとしての「安倍独裁」「小沢独裁」などとは次元の違う軍事政権、独裁と戦ってきたタイ人に失礼だろう。
また、もう一つ言っておけば、これまたレベルの違う北朝鮮やミャンマーの独裁政権と、タイの軍事政権を比較するのもピントが外れている。少なくともタイの軍政は、お約束としての「民政移管」はするし、その意味での「半分の民主主義」と留保付きの「言論の自由」はタイにはあるのである。映画「仁義なき戦い」のお下品な広島弁のセリフではないが、ある種の大雑把な議論を聞くと、「牛の糞にもだんだんがあるんで」と言いたくなるのだ。
閑話休題。また脱線してしまった。2024年1月28日付の文化芸術誌の記事「タイにおける酪農業と牛乳消費の起源について」によれば、乳牛は、20世紀の初頭、インド系の住民によってタイに持ち込まれ、1920年になって王室関係者が最初の牧場を開設する。大戦中に、乳製品の製造会社が認可されるが、病院などで牛乳が販売されるにとどまり、普及はしなかった。
1960年、アメリカ政府と共同で児童の栄養調査が実施され、栄養失調と乳児死亡率の高さに警鐘が鳴らされた。これをきっかけに、牛乳の輸入が開始され、その後、デンマーク政府の支援で商業目的での乳牛飼育も始まった。タイ政府は「国家畜産振興計画」を策定し、1970年代には、牛肉、牛乳、卵の消費を奨励して、ある程度の消費の拡大をみた。
この間、王宮内のチトラダー酪農場と、ラチャブリー県ノンボー村にあるノンボー酪農工場を中心に、乳製品の開発が進めれらるが、タイ児童の栄養状態の改善ははかばかしく進まず、牛乳の消費も以前として限定的だった。そこで、タイ政府は、1992年の第七次国家経済社会開発計画で乳業への支援を明記し、幼稚園児を対象にした給食時の牛乳配布が始まった。その後、配布の対象は小学校4年生にまで拡大された。(今、家人に聞くと、現在、小学6年生まで牛乳が支給されるという。)
・・・と、タイ政府による乳製品の普及事業は、ざっとこういう流れになるのだが、現在の乳製品普及の成功は、タイのWTO加盟により(1995年1月1日に発効)、生乳、乳製品の輸入市場が拡大したことが大きいのではないか。以降、外国の乳業大手が相次いて本格参入し、牛乳やヨーグルトはコンビニの定番商品となっていく。ビザハット、ドミノピザなどの外食チェーン大手もタイに進出し、一部の高所得者を除いて、チーズなどほとんど食べなかったタイ人が、昼食に普通にピザを注文する時代となったのである。
タイの若い世代が、すんなりとピザなどのチーズ食品を受け入れたのは、児童の栄養状態改善のために、給食に牛乳を導入したタイ政府の努力があったからだと思う。その甲斐あって、タイ人の体格は著しく向上し、2022年のデータで、19歳の平均身長が、男性171センチ、女性159センチにまで伸びている。しかし、これでも、乳製品の食文化が元々あった周辺国に遅れをとっているそうで、タイ政府は、男性の平均身長175センチ、女性165センチを目標に、今後も、牛乳の消費を推奨していく方針だという。
しかし、いくらタイで乳製品の消費が定着したといっても、チーズ天丼はやり過ぎだろう。これは食に対する嗜好の変化を超えた、基本的な食い合わせのセンスの問題だと思う。「もはや天丼とは言えないシロモノだ、酷すぎる!いわんやタイ人は絶対に食べないだろう・・・」と、こう思っていたら、先日、カリフォルニア巻きを食べながら、アイスカプチーノを飲んでいるタイ人の青年を見た。そういえば、自分も、子供の頃、コーヒー牛乳を飲みながらカレーパンを食べるのが好きだった。チーズ天丼、結構、若い人に受けているのかも・・・。
以下、おまけ。「学校牛乳の歌」ちょっと「ちびまる子ちゃん」パクってる?(笑)
<了>
参考
文化芸術誌2024年1月28日号より
「タイにおける酪農業と牛乳消費の起源について」