注目クリップ~現代の姥捨て!コロナ感染の父親寺に置きざりに(Khaosod 紙のフェイスブックより)
今週のある日、ナコンラーチャシマー県のスワンタムサワディー寺にバンコクから夫婦ものが車で乗りつけた。住職のシティチャイ和尚に、「コンケーン県のお寺にいる時に、あなたと父が知り合いだった。父がここに居たいと言っている、預かって欲しい」とそう言いおいて、病気の父親を車から降ろし、夫婦はそそくさと去っていった。父親は、2ダースばかりの豆乳と好物らしいスタミナドリンクと共に道端に放置された。あっけにとられた住職は、村の保健所に助けを求めた。係員が迎えに来て本籍地のコンケーン県の病院まで連れていき、検査を受けさせると、父親はコロナに感染していた。
現代の姥捨てである。この「事件」にはさすがに怒っている人が多く、だからこそニュースになるわけで、平均的なタイ人がこういう親不孝と言うわけでは全くないが、農村部でも独居老人の面倒をどう見るかという問題が浮上しつつある。バンコクなどの都会に子供が働きに出たまま戻ってこないケースなども多いのだ。タイも少子化が進行しており、昔のように大家族の誰かが親の面倒を見るというわけにもいかなくなっている。¥
コロナ絡みのこういう悲惨なニュースは山ほどあり、今日は他にも、9歳と11歳の女の子がいる母子家庭で、母親がコロナに感染し、二人の幼い娘がアパートの部屋で母親の最期を看取るというケースが報道されている。母親は仕事を求めて転々としていたらしく、次女は義務教育を受けておらず、長女は小学4年までしか学校に行っていなかった。読み書きなどは、母親が教えていたらしい。このような母子家庭は統計に表れている以上に多いのではないか。娘たちもコロナに感染していて、病気を治療した後、孤児施設が預かるのだという。そういえば、コロナ第二波の震源地となったのは、移民労働者が住むバンコクの隣県にあるゲットーだった。コロナはタイ社会のいろいろな歪を浮き彫りにしている。
父親放置の問題に戻ると、この夫婦がここに至るまでに行政からどういう扱いを受けたか、少しは話を聞かないとフェアーでない気もする。バンコクの狭いアパート暮らしで、小さな子供がいたりして、感染した老父の入院がベッド待ちになったりしたら、「進退窮まった」という気分になってもおかしくないし、あるいは高齢の父親本人がそう望んだのかもしれない。実際、そうやって家族全員がコロナ死したというニュースも報道されているのである。それに、本人たちは感染していなかったのだろうか・・・。
<了>
参考 Khao Sod FB Page