小説「ゴッドファーザー」のラストについて
映画「ゴッドファーザー」のラストは言わずと知れた例の「ドアがちゃん」であり、ケイの「真実を知ってしまったかのような顔」が次作へ続く余韻を漂わせる終わり方になっている。「物語はここでは終わりませんよ」と観客にメッセージを投げているわけだが、原作のラストはかなり趣きが違う。
マイケルが義弟を殺した事に気づいたケイは子供達を連れて実家に帰ってしまう。マイケルは彼女の元にコンシリアリ(相談役)のトム・へーゲンを使いに出し、「家にあるものは何でも持っていっていい、子供達さえ立派に育てれば好きなようにしていい」という伝言を伝える。
「本当の事を話してくれ」と懇願するケイに、マフィアの掟を破って、トムは、マイケルが義弟の殺人を命じた事を認め、「そうしなければマイケルが殺されていた」と打ち明ける。そして、「マイクにそう言えと言われてきたの?」と皮肉っぽく聞くケイに、トムはこう答えるのである。
「ケイ、君はまだ分かっていない。この事を君に話したことがマイクに知れれば、僕は殺されるだろう。君と子供たちがだけが、マイクが傷つけることができない唯一の存在なんだ」
マイケルの元に戻ったケイは、ママ・コルレオーネと共に、夫の罪の赦しを乞うために熱心に教会へ通うようになる。マイケルの母親が夫のためにずっとそうしてきたように・・・。
これが小説のラストである。これでは続編の作りようがないのですな。マイケルが小説に描かれているような立派な夫なら、原作の結末の方がリアルであるような気もする。しかし、実際は、こんなマフィアなどいやしないでしょう。
ポール・カステラ―ノ(ガンビーノ一家のボス。ニューヨークのボスの中のボスだったカルロ・ガンビーノから一家を引きついだ)の居間を盗聴したFBI捜査官によれば、マフィアは「女と金儲けの話しかしない退屈な連中」だそうだ。
原作のマリオ・プーゾはイタリア系移民のノンフィクションなどを書いていたイタリア系の作家だが、マフィアについてはよく知らず、ラスベガスのカジノなどで聞き込んだ噂話を膨らまして理想化されたマフィア像を作り上げたらしい。だからと言って、映画「ゴッドファーザー」が名作であることに毫も変わりはありませんが。
プーゾの「ゴッドファーザー」はとにかく売れた小説だったようだ。作家の大岡昇平が、たまたまその頃、ニューヨーク行きの飛行機に乗ったら、乗客がみんな「ゴッドファーザー」を読んでいて驚いたと書いている。
写真に撮ったのは、タイ語に訳されたゴッドファーザーだが、翻訳文化不毛の地タイで、この分厚い本が訳されたのだから、小説と映画の人気の程がうかがわれる。これはゴッドファーザーが最近よくある単なるマフィアの実録物ではなく「家族の危機に立ち上がっヒーロー」の物語であり「グループ間の抗争、忠誠と裏切り」という古典的なテーマを扱っているからでしょうね。
<了>