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◇小説「ゴットファーザー」の下世話な面白さ

akiyamabkk

フランク・シナトラと元妻エヴァ・ガードナー

映画「ゴッドファーザー」のジョニー・フォンテインは、フランク・シナトラがモデルとされている。マリオ・プーゾの原作では、ジョニー・フォンテインは、ソウコウノ妻を捨てて新進女優と結婚するが、新しい妻に浮気されて自暴自棄になり、過度の飲酒で喉を痛めた、崖っぷちの有名歌手として描かれている。


映画では出てこない登場人物の背景設定だが、「家族と時間を過ごさない男は本当の男になれない」と、ジョニーへの訓示にかこつけて、長男ソニーをたしなめるドンのセリフとして映画に生かされている。小説では、改心したジョニーが、別れた妻と子供に定期的に会うようになり、ドンの信頼を取り戻すのである。


ジョニーがカムバックを遂げる映画は、シナトラにとっての「地上より永遠に」だとされている。手塩にかけた新人女優をジョニーに奪われた事を根に持って、ハリウッドの大物プロデューサーが、映画へのキャスティングを頑なに拒否するのだが、この男を屈服させるために、ドンは、例の「馬の首」を使うのである。I will make an offer he can't refuse というドンのキメ台詞を体現するエピソードだが、あの残酷シーンには、映画では語られていない背景がある。


小説では、プロデューサー宅を訪れたファミリーの相談役、トム・へーゲンが、母親に宥められ泣きながら家を去る少女の姿を目撃するのである。このハリウッドの大立者は、某大物喜劇俳優と同じような「少女好み」の悪癖があったのである。ジョニーと駆け落ちした新人女優も、プロデューサーの餌食になっていたに違いない。あの「馬の首の惨劇」の裏には、このロリコンプロデュサーに対する、昔気質のマフィアのボス、ドン・コルレオーネの強い嫌悪感があった。


しかし、まあ、馬には罪はない。


このエピソードは、子役時代のジュディ・ガーランドの話しなども彷彿とさせ、子供への性的な虐待が、当時のハリウッドに横行した悪慣行(犯罪行為だが、当時としてはその程度の認識だったろう)だったのではないかと伺わせる。ジャニーズのケースを思い出した。昔も今も、人間のやることはたいして変わらないのだ。


小説「ゴッドファーザー」では、これ以外にも、ソニーの愛人だった女性が閉膣手術をして新しい人生の希望を得る話とか、レイモンド・チャンドラーがモデルらしい「シナリオライターに転身を試みる有名小説家」の話とか、赤ん坊殺しのサイコパス、ルカ・ブラッチの話であるとか、盛りだくさんに詰め込んである。アメリカでは長い小説が好まれるかららしい。長くないと売れないのですね。


もちろん、そういう枝葉のエピソードは映画では省かれるのだが、そこここに痕跡をとどめて、隠し味的に使われている。例えば、閉膣手術を受けるソニーの愛人の話し。何故彼女が愛人に選ばれたかというと、それはソニーが「超巨根」だったからで、「大きすぎて」相手がいない二人が、お互いの必要から相思相愛の仲となったのである。(なんという即物的な!)


冒頭のパーティシーンで、ソニーの本妻が、だんだん大きくなっていく男性のモノの手真似をしますね。あれはそういうこと。周りの女友達と笑いあって、後を振り向くと、からかおうとしたソニーはいない。例の愛人とどこかにしけ込んだと察した妻は唇を噛む。しかとはわからなくても、ソニーの人物像、粗野な動物的な感じ、夫婦関係のあやは、なんとなく観客に伝わる。いやあ、原作のアイディアを活かしたうまい脚本ですなあ。


おそらく撮影して編集でカットしたシーンもたくさんあるのではないか。一度、すべてのエピソードを生かした完全版を見てみたい。


ではでは

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