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◇小津安二郎の評伝&作品解説の決定版〜「絢爛たる影絵・小津安二郎」(髙橋治著)

akiyamabkk


小津安二郎本の決定版。何とかいう学者のように、妙な性的解釈でケムにまかないところがよい。性的な解釈をする時も、筆者本人が書いているように、映画人らしく、「偽悪的」と思えるほど直接的である。


だから、東京物語の紀子について、脚本執筆中の小津と野田高梧の会話を想像するクダリにはおったまげた。紀子は、夫の戦死後も独身を貫き、義父母にも優しく接する孝女である。


小津「彼女はもう独り寝に耐えられなくなっている」

野田「そう、こう夜陰に紛れて手が胸の辺りに・・・」


みたいな会話なんですね。要するに、紀子は、男が恋しくて、時に一人寝の自分を自分で慰めているという・・・古風な表現ですが・・・(笑) でないと、最後に近いシーンで、彼女があれほど激しく義父に告白する意味がわからないと言うのである。これには、目から鱗が落ちました。自分も、あのシーンの紀子の突然の激しさに違和感を覚えていましたから。


若い女の人の当たり前の生理なのでしょうが、スクリーンを通して小津流に、とりすまして表現されるとピンと来なかった。若い自分には「違和感」として残っただけだったのだが、あの「とんでもない!」と顔を背ける激しさが、倫理的な自己嫌悪というより、自分の「汚さ」への生理的な嫌悪の表現だったのならば、唐突な自己否定の激しさが理解できるのである。


そういう事を全て含み込んで、笠智衆の義父が「それでいいんじゃよ、やっぱりあんたは、正直なええ人じゃ」と言う。だからこそ、あのシーンは感動的なのだと・・・そう書くのですね。この映画の見方には感動させられました。


講談社文庫本には、評伝以外にも、小津のシンガポール時代、チャンドラ・ボースとの淡い交流を描いた短編小説が収められていて、こちらも非常に興味深い。小津は、宣伝班として送られたシンガポールで、軍部の催促をのらりくらりとかわしながら、映画を作ろうとしなかったが、ボースのインド独立軍の記録映画だけは、真剣に撮るつもりだったという。


ではでは



<了>


講談社から E-book 版も出ています。

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