不定期テレビ日記〜2022年8月
2022年8月1日(月)
ノート ミャンマーで取材中に逮捕された久保田徹氏に関するロイターの続報。ネットで見た限りでは、これが一番詳しい。やはり民主派グループと連絡を取り、フラッシュデモを取材したようだ。捕まらずに取材するためには、これが良い方法の用に思えるが、逮捕された時には、軍政の敵に加担した人物として扱われることになる。早期釈放された北角氏とはそこが違うところだ。
久保田さんは、フラッシュデモに参加、取材し、解散後、午後三時ごろバス停に向かうところを目撃されている。どうしてそういう事がわかるかというと、ロイターは、デモを組織した反軍政グループに接触して話しを聞いているからである。同ソースによれば、そのバス停では午後三時半頃、三人の参加者が逮捕されており、久保田さんはデモ参加者の中で最初に拘束されたと見られている。久保田さんは泳がされ、尾行され、結果的に、フラッシュデモが決行される場所に、警察、もしくは軍情報部を導いた可能性が高いのではないか。
また、ある記事で久保田氏は「取材ビザを取得していた」とあったのに少し驚いた。外交イベントに合わせてビザを取得した可能性はあるが、彼の入国が確か先月の14日で、逮捕まで2週間以上経っている。行事取材でビザは出しても、クーデター政権が、そんなに長く、フリーランスに取材ビザを出すとはちょっと思えない。別の理由を拵えてビザを取得したのだとしたら、軍政はその点もアゲツラッテ、殊更に重罪を課して来ると思う。見せしめのためにも早期釈放には応じず、重箱の隅を突いて「余罪」を探しだして長期刑を課すだろう。おそらく、本格的な解放交渉が始まるのは裁判の判決が出てからではないか。
以下はAPの記事。やはりデモのオーガナイザーに話しを聞いている。
2022年8月6日(土)
オスカーの公式サイトから、エリア・カザンの名誉アカデミー賞受賞の場面。カザンはマッカーシーの赤狩り旋風が吹き荒れた時、同僚を売ってハリウッドで生き残ったとされる人だ。会場の外では、受賞に反対する抗議活動がなされ、名誉賞では恒例のスタンディングオベーションにも、半数以上の映画関係者が立とうとしなかった。会場の雰囲気を察したカザンの表情が痛々しい。紹介役を務めたのは、あのマーチン・スコセッシとロバート・デニーロである。彼らはおそらく火中の栗を拾ったのだ。会場の冷たい雰囲気に衝撃を受けたスコセッシが、満腔の同情をこめて老いたカザンを抱きしめる姿に感動した。スコセッシは少年時代、カトリックの司教となる事を志し神学校で学んだ人である。最高の映画を作り、最低の行為をなした老監督に、抱擁を持って許しを与えた映画聖人の姿だった。この後、カザンは予定してた記者会見を取りやめて、ひっそりと会場を去った。Slip Away というカザンが最後に使った言葉は、「さよならも言わずに立ち去る」という意味らしい。
2022年8月10日(水)
吉成名高、ムエタイの三団体統一王者だが、この人のムエタイへのリスペクトがすごい。では、タイやタイ料理が好きかというと、そうでもないらしい。タイ料理を食べるとすぐお腹をこわすから、試合前にタイへ乗り込んで終わるとすぐ帰ってくるのだそうだ。あくまで、ムエタイ、格闘技が好きなのであって、他は眼中にないのである。大谷翔平、井上尚弥のような新しいタイプの日本人だと思う。そういえば、今日、大谷が10勝25ホーマーを記録した。喜ばしい。ここで一首・・・
大谷の10勝目観るエア煙草 万斛
2022年8月13日(土)
ノート 日本の国会議員がミャンマーに飛び、今月の7日から12日まで滞在したそうだ。訪問の目的は明らかにされていないが「久保田さんの解放交渉ではないか」という憶測が流れている。早期解放への希望が見えてきたのなら良いのだが。
ミャンマーへ飛んだのは元復興大臣の渡辺博道という人。日刊デリタがミャンマーのフィクサーと名指しし、ニューズウィークも取り上げた渡辺秀央日本ミャンマー友好協会会長とは関係ない感じだが(苗字が同じだがウイキなどで親族とされていない)、ミンアウンフラインと会っているので、可能性はあるのではないか。
久保田氏は、やはり、取材ビザを取らず、「観光ビザで入国した」とこの記事にある。「入国目的を偽ったこと」と「反政府組織の活動を助長したこと」が逮捕容疑となっているようだ。自己責任は取材者の心構えとして必要だろうが、こうなった以上、政府は万難を排して日本人を助けねばならないと思う。
今、調べると、ニューズウィークは日本ミャンマー友好協会の抗議を受けて渡辺秀央氏関連の記事を取り下げている。ニューズウィークが取り下げに応じたくらいだから、デリタの記事が「書きすぎ」の可能性もあるが、この話しは、ロイターなどの通信社も書いている事なのだ。
2022年8月14日(日)
◇私が見ていない日本映画の名作十選
1. 雨月物語 ACTミニシアターで見始めたが、オールナイトだったので途中で寝てしまった。溝口健二の良さがわからない。「近松物語」と「西鶴一代女」は面白いとおもったが、「山椒大夫」などは傾向映画みたいだ。あれ、確か森鴎外の原作では、山椒大夫一族は生き延びてますます繁栄するのである。
2. 戦場のメリークリスマス ビートたけしが「メリークリスマス、ミスターローレンス」と言ってニッコリする顔を予告か何かで見て、ダーとなって見る気を無くした。「夜の熱気の中で」のロッド・スタイガーのラストの笑顔を見るとなおさらそう思う。
3. 総長賭博 「三島由紀夫が褒めた」という事で名作とされている任侠映画。小林信彦と脚本の笠原和夫の解説を読んで見た気になっている。ヤクザ映画は好きなので、見ていないのは、行きつけのビデオレンタルショップに偶々置いてなかったからだと思う。ビデオレンタル、そんなものが昔あったのだ。
4. 神々の深き欲望 おそらく題名に恐れをなして見なかったのだろう。近親相姦を扱った映画らしい。今村昌平の映画は、「日本昆虫記」なども見ておらず、見ていないものの方が多い。露口茂が出ているセミドキュメンタリーみたいな映画は見てみたい。
5. 眠る男 予告を見て小栗康平に興味を失った。「泥の河」は大好きな映画だし、「伽耶子のために」も「死の棘」もいい感じだったのだが。映画監督が大衆性を完全に放棄してしまうと、「なんかズルしてるんじゃないの」「怠けてるんじゃないの」「安易な方向に流れたな」という感じになる。
6. 日本無責任時代 主題歌はよく知っているし、お昼や深夜の映画放送、名場面集などで細切れに見ているのだが、全編通して見た事がない。クレージーキャッツの映画は全てそうだ。カルト的にモテはやされるが所詮B級映画で、クレージーキャッツのダンスなど酷いもんだと思う。が、細切れに見ても、植木等や谷啓がとてつもなく面白いという事は分かる。だから断片的に見るだけで十分なのではないか。その時代に見るから面白いという映画もあるはずで、一連のクレージーキャッツの映画もそうなのだと想う。
7. 心中天網島 鬼平を演じた中村吉右衛門が好きなので、これは見てみたかったが、出だしが、メタフィクション的にややこしくて、映画に入りきれぬまま断念した。篠田正浩の映画では「瀬戸内少年野球団」が好きである、というか、多分、これしか見ていない。ベニー・グッドマンを替え歌に仕立てたのがナイスだった。
8. 東京暮色 山田五十鈴が子を捨てた母を演じる小津映画。これは見てみたい。小津の映画には珍しく、劇中、大きなドラマがあるらしい。山田の娘を演じた有馬稲子がえらく評判が悪いが、いかにも評論家に叩かれそうな人なので気にしない事にする。小津の映画は、それほど評価の高くないものでも、見て二、三日は後を引いて茫然となる事が多い。「彼岸花」や「浮草」「秋日和」がそうだった。
9. かぐや姫の物語 これは予告の絵と歌がうっとりするほど良くて、「絶対見てやろう」と思っていたが、結局、見なかった。私の住んでいる国で公開されなかったからでもあるが、努力してまで映画を見るという習慣がもはやないからだろう。
10. 万引き家族 カンヌ映画祭で受賞したくらいだから名作と言っていいのだろうが、イマイチ見る気にならない。ポリコレ的に「置きにいった」映画という匂いがする。大島渚の「少年」のように徹底的に調べて書いた迫力が感じられないのだ。実話があるのかもしれないが(イエスの方舟事件を思い出した)、「頭で作った設定」という印象が拭えないのである。
<番外> 沈黙 遠藤周作の原作をマーチン・スコセッシが映画化した。Youtubeにあがっているあらゆるレビューを見て、神学生だったスコセッシのインタビューも幾つも聞いて、彼が原作を初めて読んだのは、ようやくある映画をクランクアップして、黒沢の「夢」でゴッホ役を演じるために撮影現場へ向かう車中であった事まで知っているのだが、結局見なかった。私の住んでいる国でも公開されていたにもかかわらず。体調と精神状態がイマイチだったからだ。体調が良くないと見られない映画というのがあるものだ。
黒澤明の映画が無いのは、黒沢映画は全作見ているからである。「眠る男」は、名作との評価を受けていないかもしれないが、何となくそれらしい雰囲気があったので選出した。「東京暮色」や「沈黙」を選んだのも同じ理由である。あ、「沈黙」は日本映画とは言えないか!でも、日本が舞台で、日本に縁はあるので、番外に外して置いておく。代わりに「万引き家族」を入れた。
こう書いてみて、洋画よりも日本映画を比較的よく見ているな、と思った。これは、浪人中と学生時代に集中的に見た時期があったからだろう。
2022年8月15日(月)
水泳日誌
今日は終戦記念日。「終戦ではなく敗戦ではないか」という批判もあるが「どっちでもいいじゃねーか」というのが最近の心境。ここで一句、
「血糖値125かあ」終戦忌 万斛 忍び難きを忍びビールはやめておく では太
この日に口を揃えて「戦争を二度と起こしてはならない」などと言うが、前の戦争の後、戦争がなかったなどと考えているのは日本人だけだろうし、自分たちが戦争を起こさなければ戦争は起きない、などと考えているのも日本人だけだろう。多くの弱小国にとって、戦争は他者によって起こされるものなのである。ウクライナ危機で、その事が改めてハッキリ認識できた。
終戦記念日など今の今まで忘れて、水泳の練習に勤しんだのだが、これが2022年8月15日の時点での自分の25メートルの泳ぎである。アパートのチビプールの縦幅は歩測によると13メートルなので、往復するとだいたい25メートルになる。まだタッチターンがうまくできず、ターンすると逆に息苦しくなるくらいだから、おそらく25メートル一気に泳いだ方が楽だろう。つまり、当初の目的だった「25メートル、普通に泳げるようになる」事は達成できたわけだ。
コロナ下での体調維持のために水泳を始め、途中で糖尿が発覚し、水泳は自分にとって生き延びるためのエクササイズとなった。この映像を見て「多少は進歩したかな」という嬉しい気持ちもあるが、「2年間、プール閉鎖期間を除いてほぼ毎日泳いだ結果がこの程度か」という残念な気持ちもある。しかし、先日は久々に仕事でカンボジアに行ってくる事もできたわけだし、生き延びて仕事ができるようになった事だけでも良しとせねばなるまい。
2022年8月16日(火)
The Irrawaddy の記事
ノート ミャンマーではクーデター政権の許可なしに外国人や外国の組織と接触すると政党許可が取り消されるそうだ。選挙管理委員会がそう宣命した。オーエル的世界だ、読んでないが。The Irrawaddy の記事にある写真はクーデター政権が任命した選挙管理委員会のトップ。いかにもそういう事を命じられるままに言いそうな顔をしている。
ココジーというある政党の代表が、流石にそれはないだろうと反発している。ココジーは高名な民主活動家で、裏切り者呼ばされながら、来年予定されている軍政主導の選挙に参加すると宣言した人。この人なりに考えがあってやっているのだろうが、選挙委員会の非中立性があまりにもあからさまになれば、さすがに、ボイコットせざる得なくなるのではないか。
この辺りが、タイの「洗練された」(?)クーデター政権とは違うところで、タイならば、軍政下の選挙でも、選挙委員会はそれなりに中立を維持するのである。国民の大半に「選挙結果を操作した」とまで思われる事は、政権維持のレッドラインを超えたとみなされ、枢密院や軍の内部からも批判が起こるだろう。政権はエリート層の支持を失い崩壊する事になる。それが分かっているから、クーデターで権力を握った将軍たちも自制するわけだ。
それにしてもココジーという人、大丈夫だろうか。民主派勢力支持の武装グループが、軍政の暴力に対して「目には目を」と先鋭化している。兵士や警官だけではなく、彼らが「軍の協力者」とみなす民間人も暗殺作戦の対象にし始めたようだ。ココジーなども、そのうちターゲットになるかもしれない。
ヤンゴンのフードパンダのライダー達が、賃下げに抗議してストライキに訴えた。ヤンゴンに、フードディリバリーが活躍する日常がある事が、逆に新鮮な感じを与える。フードパンダは、タイでもフードディリバリーの大手だが、ドイツの企業である事を初めて知った。クーデター前には一回の配達で1100k貰えたのが、現在では400k、三分の一にまで減ったというのだから酷いもんだ。完全なブラック企業である。経済制裁で物価は上がり、コロナ感染の危険は高いし周りから差別もされる、警察や軍には賄賂も払わなければならないだろう。その上、ヤンゴン市内はバイクの使用が禁止された道が多いから、近くの配達先にも迂回して行かなければならない。彼らが「これではやっていけない」と思うのも無理はない。
2022年8月17日(水)
ノート ミャンマーで拘束された久保田さん、裁判を即日結審して昨日解放という報道もあったが、まだのようだ。日本政府の特使に早期釈放を約束したというから、まず長引かないとは思うが・・・記事は日刊スポーツだが共同電である。
以下抜粋
「久保田さんは7月30日、ヤンゴンで国軍への抗議デモの様子を撮影していたところを治安当局に拘束された。国軍によると、観光ビザ(査証)で隣国タイを経由してミャンマー入りし、デモ参加者らと場所や時間などについて連絡を取り合っていたという。(共同)」
「裁判所の判断を待つ必要がある」と言うのは、一応、判決を出して外国人ジャーナリストへの見せしめとし、その後、日本政府の顔を立てて解放するということではないか。
2022年8月19日(金)
The Voice ウクライナから。ウクライナ軍の奪還作戦が進行中のヘルソンから避難してきた16才の少女。ウクライナの民族楽器で、ウクライナの歌を歌っているのだろう。最後に少女らしく照れて笑っている。カンボジアでもそうだったが、避難所に着いたばかりの避難民の表情というのは、むしろ明るいのである。まず、「生き延びた」「これで死なずにすむ」という安堵感が先に立つからだろうか。
写真は Radio Free Asia のサイトから
ノート 以前は反共メディアとして信用性に欠けると思っていたが、今は、こういうニュースをフォローしていかないと、東南アジアの国々の本当の姿は見えてこない、と感じるようになった。メディアに報道されて、ネット内に情報が残るという事は(テレビのように一回放送されれば、それでおしまいではない)、活動家の彼らにとっても、プロテクションになり得るのではないか。
2022年8月24日(水)
水泳&糖尿日誌
カンボジアに仕事で4日間、行ってきた。一種の肉体労働なので、低血糖になる事が怖くて、ほとんど薬を飲まず、飴を舐めながら働いたから、帰って来たらやはり少し血糖値が上がっている。今朝(25日)は124である。帰国当日は、寿司を食べたが、昨日から玄米に戻す。今年二回目の海外出張だが、カンボジアもタイも、コロナ絡みの入国規制を殆ど撤廃している。カンボジア入国とプノンペンの空港でのチェックインの際に、ワクチン接種証明書の提示を求められた事が全てだった。タイ政府が発行するワクチンパスポートというのがあるのだが、二回ともチラリと表紙を見るただけである。日本入国の際にように、72時間以内に検査した陰性証明書を求められる事はない。
水泳の方、呼吸の際に顎を引くコツが分かってきて、タッチターンで30数メートルを往復しても、あまり息が切れなくなってきた。(多少は切れる) 早めに呼吸を開始し、リカバリーの腕と一緒に顔を戻す泳ぎ方が、肺活量に乏しい自分には合っているようだ。バタフライは、平泳ぎの要領で、顔を水面に上げてから腕を回すようにしたら、顔が水面から出始めた。そのようにしているのだから、当たり前だが。いくら何でも、これでは手のタイミングが遅すぎるので、徐々に修正していくつもり。とにかく、顔が上がる感じを知りたかったのだ。
2022年8月25日(木)
ノート ウクライナ戦争の報道を見ていると、どうしてもベトナム戦争を想起してしまう。ベトナム戦争でベトナムを熱狂的に支持して、現在のウクライナに冷淡な人は、単なる「縁故左翼」なのではないか?
以下、ジョン・バエズのアルバム Where are you now, my son? から。
An aging woman picks along the craters and the rubble A piece of cloth, a bit of shoe, a whole lifetime of trouble.
A sobbing chant comes from her throat and splits the morning air. The single son she had last night is buried under her
They say that the war is done Where are you now, my son?
ある年老いた女性が、爆撃でできた穴の中を突きまわしている 服の切れ端や、靴らしきものの破片、一生のすべての厄介ごとの名残を 彼女の喉から出てくる呪文のような泣き声が、朝の空気を切り裂いている 彼女の一人息子が昨夜、彼女の足の下に埋められたのだ
誰かが言う 戦争は終わった! ああ息子よ、今お前はどこにいるの?
2022年8月26日(金)
ノート ゼレンスキーが「独立」と「自由」について語っている。「独立と自由ほど尊いものはない」というホーチミンの有名な言葉を思い出した。しかし、今のベトナムに、政府を批判する個人の自由はない。ウクライナには、戦時下での自由の制限はあるだろうが、少なくとも、選挙で選ばれた指導者の下で戦争を戦っている。南ベトナムにそのような政権があれば、南ベトナムは彼らの「独立」を維持できたのではないか?