不定期テレビ日記〜2024年2月
※写真 ルアンポークンという「高僧」のお守り。
2024年2月1日(火)
ノート アイドルにヘビメタを歌わせるという発想は凡庸だし、昭和期にもあったが、ベビーメタルのあの完成度はすごい。なにより昭和のアイドルがこれをやっても、歌が下手すぎてダメだったろう。対して、このボーカルの女の子の声の強さはどうだ。外国のユーチューバーのリアクションを見ても、まず驚いているのは、彼女の声の透き通った強さ、特に、高音の地声のそれである。ADOなどでもそうだが、言葉の意味は理解できなくても、声の強さは伝わるのだ。考えてみると、我々が歌ったり、話したりする時の第一次情報は、言葉の意味よりも、声の質なのである。例えば、緊張感のないだらけた声で、緊急の情報を伝えても、切迫感は伝わらないだろうし、逆に、意味は分からなくても、叫びに、驚きや、畏れや、恐怖がこもっていれば、事の緊急性は伝わるのである。
ノート ロイターなどが一斉に報じている。ガザはハマスが実効支配していたわけだから、このくらい国連組織にいても不思議じゃないが、あれほどあからさまに一般市民を標的にしたテロをやってしまった以上、それが問題化するのも仕方ない。このところハマスに不利な状況が立て続けに起きてきている。国際世論など一時の「風」に過ぎないことをイスラエルは承知していたようだ。
2024年2月2日(水)
GoPro Hero 12 で撮影。4Kで撮影すれば、PCで見るくらいなら編集でより引きしても問題ないようだ。もっとも、MacBook Air のモニターはかなり小さめだが。音は、マイクをつけた方が良さそう。外付けマイクを使うと全然、音の立ち方が違う。
とても礼儀正しい象で、チップも上げなかったのに、最後に挨拶して立ち去っている。象使いの躾が行き届いているというべきか。オッペルと象を思い出した。
2024年2月3日(木)
ノート これは、ハマスと国連組織との構造的結びつきを示す、かなり決定的な証拠だろう。UNRWAのトップも「本部の下に何があるかを知らなかった」という言い方で、本部の地下から伸びるトンネルの存在自体を否定していない。この人は、知らなというより、見ないようにしていたのではないか。こういう事は、あっても全然不思議ではないし、ある程度、現地の事情を知っているものには、常識に属する話しではなかったか。だからといって、市民を巻き込んだオーバーキルが許されるわけではないが、ハマスのこうした行動を無かったかのように言い繕ってイスラエルだけを責め立てるのもどうかと思う。
2024年2月12日(金)
ADOの「うっせえわ」タイ語バージョンがあった。後で、日本語に訳してみよう。タイの若い人はどういう事に「うっせえ」と思っているのだろうか、興味がある。
※字幕をざっと読んでみると、なんと、ほぼ直訳だった。この辺が、このバンドの弱さではないか。もの言えば唇寒し、というのがこの国の現実なのだが、それにしても、ヒットさせようと思うなら、もう少しタイ人の若者の琴線に触れるような歌詞にしないと。よく聞き散れないが、うっせえ、うっせえ、というところだけ日本語で歌っているよう。フレーズの最後のトゥというのは、〜したら、というカジュアルな命令、勧誘の接尾語だと思う。日本語の意味からするとおかしいのだが、英訳(shut up)からタイ語にしているからこうなるのだろう。
ADOのバンコクでのコンサートは忘れている間に終わってしまった。サンダードームという比較的小さめのコンサート会場が満杯になり、タイのADOオタクの間では大盛況だったが、マスコミや世間一般の注目度はイマイチという感じか。
コンサートの報告をしてくれたタイ人ユーチュバー、パッタイさんによれば、オープニングは「新時代」、アンコールでは、「逆光」「Stay With Me」「千本桜」しめに「踊」を歌ったそうだ。「千本桜」は分かるような気がするが、松原みきの「Stay With Me」を歌ったのはちょっと意外だった。しかし、タイのJポップファンは意識したこの選曲は大当たりだったようで、パッタイさんは、この曲が流れてきた時、周囲のJポップオタクたちと一緒に涙を流したという。
以下、パッタイさんのADO コンサートリポート。
2023年2月16日(金)
ノート 日本のAV女優の借金苦が、カオソットのニュースになっていた。深田えいみ、という人。散財して8000万円の借金があるらしい。見出しは、「ショック!深田えいみが借金地獄に!」完全に、タイ人男性の、household name となっている。カオソットはタイの朝日新聞「マティチョン」の系列紙で、数年前プリント版を廃止してインターネットに特化してからは、徹底した大衆路線に舵を切り、ネット部門での最大アクセス数を誇る。朝日新聞も見習ったらどうか、いや、マジで。
2024年2月17日(土)
ノート ルアンポークンという「高僧」のお守り。この人は、高齢で亡くなる前、周りの支持者たちのされるがままに、病院のICUと、お寺をなん度も行き来していた。つまり、あまり、仏教的な教えを実践できなかった「高僧」である。お釈迦様の偉い弟子なら、死を泰然と受け入れる様を、そのお手本を、衆生に見せてあげるべきだった。ということで、自分はこのお守りを信用していない。命が惜しいのは人間として当たり前のことだが、そういう当たり前の普通の人が「霊力を吹き込んだ(プルークセークとタイ語で言う)」とされるお守りを有り難がる必要も感じないのである。ま、お守り全般を信用していないのだが、特にこういうものが、「貸し借りする」と称してタイでは高く売り買いされる現実があるから、気をつけた方がいい。「イワシの頭も」云々と言う諺もあるわけで、他人が信じていることに水を差すつもりもないが、骨董的な価値がある希少なお守り以外は、信仰が無い・・・というか、迷信を信じない人間には無価値なものである。原価いくらぐらいだろうか。と思ってしまう人間には意味のない代物なのだ。
2023年2月21日(水)
ノート これなんか、ルッキズムの偽善的な観点からすると微妙なタブーに触れていて、ADOの圧倒的な歌唱力によって強引に肯定的なパワーに変えているのである。驚いた。多分、今の若い人は、こういうネガティブなものを通過した上でないと、落ち着いて世の中に対抗する気持ち、安心できる鎧が得られないのではないか。「自分ではなく社会が悪いと考えるのは敗者の戯言だ」と与党の政治家から、ホリエモン、吉本の大物芸人にまで、朝から晩まで、陽に影に、言われ続けるのだから、大して能力にも容姿にも自信がない普通の若い人、特に女の子は、こう逆張りして自分を守るしかないわけだ。それにしても、自民党の政治家がそういう事を言うのは当たり前だけども、お笑い芸人にまで、それをやられてマウント取られるとキツいだろうな。
念のため、この歌の歌詞をメタファーと捉えると全然面白くない。
2024年2月22日(木)
ノート 「真昼の暗黒」浪人中に名画座で見た。もちろん、最高裁判決が出たずっと後である。最後のシーン、高裁で有罪判決を受けた被告が、面会に来た母親に、「母さん、諦めないでくれ、まだ最高裁がある」と訴えるラストシーンに衝撃を受けた。つまり、この映画は、係争中の裁判を真っ向から批判した映画なのである。その年の、キネマ旬報第一位。映画が数世代遅れてきた自分にも衝撃を与えたのには理由がある。
今、ウィキペディアに何でも書いてあるから、以下、引用。
「山田は監督に起用した今井と相談して、橋本忍に脚本を依頼する[2]。これは橋本が、芥川龍之介の『藪の中』を原作とした『羅生門』の脚本を執筆しており、本作もこれらの作品同様「(見方によって意見が食い違うため)真相が不明」なので疑わしきは罰せずの原則に従い主人公は無罪、という結末にする目算を立てていたためだった[2]。橋本を加えた3名は、八海事件の現地に赴いて事件現場までの所要時間を計測するなどの「実地検証」をおこなった[2]。橋本は鹿沢温泉の旅館に籠もり、裁判調書をもとに40日でシナリオを書き上げる[2][4]。脱稿後に橋本は山田と今井に向かって「はっきりと、『絶対に無罪』という線で行きたい」と述べ、最終的に二人は「もし有罪だったら二度と映画は作らない」という覚悟を決めてそれを受け入れた[2]。橋本の当初のタイトルは『白と黒』だったが、ケストラーの小説にある「虚偽の自白で死刑になる」という要素の一致により借用が決まった[5]。」
安易な反権力ムードと記者の英雄化のために作った映画ではないのである。「鉄道員」の日本アカデミー賞受賞の時も思ったが、日本の映画界は、ちょっとおかしくなってないか。今井正のように、ホンモノの権力と対峙したことのある人がいなくなったからか。やはり、大岡昇平が言うように「戦争を経験したことのない人間は半分は子供」なのだろうか。
2023年2月24日(金)
FFAの記事から。ラオス人の女の子をボトル代わりに使った輪投げ。中国人観光客がワインを賭けて遊んでいる。ホテル側が見かねてやめさせたようだ。日本なら、金さえ払っていればやらせたんじゃないか。吉本的に、シャレやんか、別にええやん、金払っとるんやし・・・というノリで。ラオスはまだ、人間の尊厳への感覚が少しは残っている、生真面目なところがある国なのだ。しかし、輪投げの輪、浮袋くらいにしとけば、まだよかった。明らかに痛そう。
Radio Free Asia は、以前は、米政府の紐付きの単なる反共メディアと軽く見ていたが、今、盛んにフェイスブック送られてくる記事を読むと、事実しか報じているだけだな、と感じた。現代ベトナムなども「アメリカ帝国主義に対してベトナム人民が英雄的に戦った国」的な歴史的色眼鏡を外してみると、RFA が極く率直に報じているように、「人権意識の欠如した開発独裁国家」という当たり前の姿が見えてくる。しかし、そういう国はベトナムだけではないし、北朝鮮やミャンマーのように「開発独裁」の名にさえ値しない、最悪の国が他にあるので、ことさらに取り上げられないだけなのである。
RFAは、そのへん、飽きもせず、人権イシューで重箱のすみを突くので、一般のメディアでは出てこないニュースを読むことができる貴重なメディアとなっている。タイの人権イシューについても、もう少し取り上げるべきではないか、と思うこともあるが、そのあたりは、民政と軍政との間を揺れ動くヌエ的国家に対するアメリカ政府の忖度があるのかもしれない。