◇チャップリンの独裁者 映画感想文
冒頭に挙げた動画は、「独裁者」エンディングの、かの有名な、反ファシズム陣営の結束を呼びかける、「床屋の大演説」シーン。この演説は、お題目、綺麗事の空疎な言葉だろうから、あんまり響かないだろうな、と思っていた。
※動画は全てチャップリンの著作権管理者の公式サイトから
冒頭の戦闘シーンのギャグも古くなっていて、テンポがたるく、あまり笑えない。だいたい自分は、チャップリンのホボーの、あのわざとらしいカマトト歩きがあまり好きではないのだ。当人がやっている分にはまだいいが、その亜流(例えば萩本欽一)が真似てやったりすると、気持ち悪くて見ていられない。これは全部見るのが大変かな、と思いながら、鑑賞を始める。
が、チャップリンが、ヒトラーの形態模写の偽ドイツ語(トメニア語)を駆使して、「自分は平和主義者である!」と威丈高、攻撃的に訴える演説を始めるあたりから、俄然スイッチが入り面白くなった。
以下、ヒンケル総統の演説シーン。
この映画を見る前に、ヒトラーとナチス関係のドキュメンタリーを幾つが見て気づいたが、現実のヒトラーの髪振り乱した演説、シャチコバッタ歩き方、ナチス流敬礼の時の気取った手の動き、誇張と極論に満ちた演説の言葉、等々、ああいうもの自体が滑稽で、現代の我々には既に「ギャグ」に感じられるのですね。なぜそうなったのかと考えると、おそらく、このチャップリンの「独裁者」が、ヒトラーを徹底的にバカにし、洒落のめし、裸にして解剖した上で、独裁者の哀れな内実を曝け出して見せたからなのだ。「独裁者」以降、チャップリンの亜流たちが、入れ替わり、立ち替わり現れ、この最悪、最恐の独裁者を、バカにし卑下することが、コメディアンの一つのルーティーンとなった。だから、次世代以降の人間にとって、ヒトラーの顔つき、喋り方、身振り、話法そのものが、条件反射的に、軽蔑と嘲笑の対象となったのである。そこに思い当たった時、「チャップリンは凄い!」と改めて思うのだ。
以下は、ギャグに沿って映画を見ていくべきだろう。「独裁者」はつまるところ、チャップリンのギャグと芸を見る映画なのだから。
○戦争大臣へーリングの胸一杯につけている勲章をヒンケル総統がむしるギャグ。ナチス空軍の大元帥ゲーリングの勲章好き、肥満した体を皮肉っている。
◯ちなみに、ヘーリングの Herring は、Red Herring のへーリングだろう。いつも総統に役に立たないポンコツ兵器の情報ばかりあげている人なのである。ゲーリングは、イギリスを空から屈服させると大見得を切って実現できなかったし、冬季のスターリングラードへの戦略物資空輸も、できると断言して実行できず、ヒトラーの信頼を失っている。映画が作られた後の話だが、映画は、ゲーリングの将来を予想していたかのよう。
◯ガービッチ内務大臣が、雄弁術を駆使して世界征服を焚き付け、ヒンケル総統をうっとりとさせる。ヒトラーのメディア指南役で総統と並ぶスピーチ巧者だったゲッペルス宣伝相がモデル。つまり、名前にかこつけてゲッペルズにガベッジ「この屑野郎」と言っているのである。ああ、清々する(笑)
以下は独裁者と世界征服の風船のシーン
◯ガービッジに焚き付けられて、世界征服の夢を膨らませたヒンケルは、地球儀を描いた風船で、新体操みたいな優雅なダンスを踊る。風船が割れると、世界征服の夢破れたヒンケルはデスクに突っ伏してオヨヨと泣く。
◯チャップリンの「ユダヤ人の床屋」が、ハンガリア舞曲か何かの軽快なクラシック音楽に合わせて、お客の髭を剃っていく。この曲は、こういう「忙しい動きのギャグ」に使われる定番で、日本でも、トイレ掃除の洗剤のCMに使われていた。おそらく、元は、チャップリンのこれだったのだ。
以下、ハンガリア舞曲で高速髭剃りの場面
・・・とこう書いていくとキリがないのでこれくらいしておくが、もう一点は、前回までの試聴で見逃していたこと。チャップリンが戦闘機の墜落で負傷して、意識不明で病院へ運ばれてから、時間経過が新聞記事で示される。年代を補って、列挙して行くと・・・
1919年 デンプシー、ウィラードをKO
1926年 リンドバーグ大西洋横断
1929年 世界大恐慌
1930年 トメニアで暴動(ドイツが再び混乱に)
1933年 ヒンケル党が政権を掌握(ナチスの政権掌握)
と、ドイツとヒトラーの国名、人名こそ変えてあるが、そこまでの歴史を忠実になぞっていることがわかる。とすれば、最初に出てくる戦闘は第一次大戦であり、ドイツの敗戦なのだ。当たり前のことだが、恥ずかしながら、最初見た時は、そこまで意識して見ていなかった。物語の終わりで、トメニアが隣国オストリッチへ無血侵攻するのは、ドイツのオーストラリア併合を模しているのだろう。だとすれば、物語は1938年、翌年のポーランド侵攻の前に終わるのである。だから、その少し前に退院した「ユダヤ人の床屋」は、第一次大戦の終結から、第二次大戦の勃発間際まで、20年近く病院のベッドで眠っていたことになる。
つまり、この床屋は、第一次大戦の終結から、その悲惨な戦争の教訓を持って、そのまま、第二次大戦の勃発間際の世界にタイムスリップした人なのである。ベルサイユ条約も、国際連盟も、世界大恐慌も、ファシズムの台頭も知らないチャップリンの床屋にとって、20年後の世界は、いかに異様で、醜悪で、性懲りもない愚かな人間たちの世界と映ったことか!自分のような現代の鈍感な観客と違って、当時の観客は、その事を直感的に理解したに違いない。
バクテリア(イタリア)がオストリッチに進軍すると、やはりオストリッチ併合を計画していたヒンケルは激怒するが、バクテリアの独裁者ナパロニ(ムッソリーニ)を国賓として招いて、交渉によってオストリッチから手を引かせようとする。これも現実に起こった歴史的事実と平仄が会っている。従来、イタリアは、オーストリアの独立を支持してきたが、ヒトラーがムッソリーニを説得してドイツのオーストリア支配を認めさせてから、圧倒的軍事力を背景に、オーストリアに侵攻して無血併合してしまったのである。
独裁者たちのフードファイト
映画では、独裁者同士の子供っぽい争いで笑わせた後、ヒンケルは、ガービッチの入れ知恵で、単純に「嘘をつく」という幼稚かつ原始的な(しかし有効な)詐術を用いて、バクテリアに兵を引かせ、オストリッチに侵攻するのである。(「単純に嘘をつく」というのも、ヒトラーの常套手段の一つだった。)
トメニアの支配下に入ったオストリッチでは、ユダヤ人狩りが始まり、Storm Troopers(この突撃隊の英語名称も映画でそのまま使用されている)によって、自宅や路上から狩り出されたユダヤ人が、街路の清掃を強制され、歯向かうものは射殺された。これは、ナチスドイツがオーストリアを併合した後、現実に起こったことで、さすがのチャップリンもこれをギャグにはできず、珍しく、笑いの要素のいっさいない、マジなシーンとなっている。
その頃、ユダヤ人の床屋は、元高級将校のシュルツと共に、強制収容所にいた。シュルツは、第一次大戦で床屋が偶然命を救ったドイツ軍の将校で、ナチス政権下で出世して司令官の地位にいたが、ユダヤ人への度を過ぎた弾圧に抗議して解任されたのである。この頃はまだ、「ユダヤ人問題の最終解決」は実行に移されておらず、殺人に特化したアウシュビッツのような収容所は存在しなかったので、収容所の描き方は比較的マイルドなものになっている。さすがのチャップリンも、あれほどまでの残虐非道は想像できなかったのだろう。
床屋がヒンケル総統と瓜二つであることに気づいたシュルツは、床屋に軍服を着せて収容所を脱出する。この後、「王子と乞食」風の、総督と床屋の入れ替わりがあって、ヒンケル党の大集会での床屋の感動演説となるのである。このシーンの群衆は、ヒトラーがオーストリア併合を宣言するウィーンでの大集会の資料映像からとっているのではないか。当時、CGの技術もないわけだし、あれだけの数のエキストラを集めるのは不可能だったろう。
さて、最後の大演説だが、不覚にも涙が出た。「白々しいお題目だから響かないだろう」と思っていたのだが・・・。あの演説は、ユダヤ人の床屋がセリフを喋っているというより、チャップリンその人が突然そこに現れて、我々に語りかけている感じがするのである。演説の内容に感動したというよりも、あの時代に、あそこまで徹底して、ファシズムと独裁者を批判し、軽侮し、嘲笑し尽くして、観客を抱腹絶倒させながら、反ファシズムの戦いへの結集を呼びかけたチャップリンの凄まじさに感動したのだ。無力の道化師が、突然、一人の普通人の顔になり、同じく無力かもしれない民衆にむかって語りかける、その表情、目、声に示された、真っ当な危機感に感動したのである。
2年前に、ゼレンスキー大統領がカンヌ映画祭で行ったスピーチを思い出した。一介のコメディアンから瓢箪から駒が出て大統領になり、今では「戦争指導者」になってしまった、ウクライナの「ユダヤ人の床屋」は、チャップリンの「独裁者」を引きながら、世界の映画人にこう語りかけていた。
以下、Bloombergのホームページから。
“Will cinema stay silent or will it talk about it? If there is a dictator, if there is a war for freedom, again, it all depends on our unity. Can cinema stay out of this unity? We need a new Chaplin who will prove that, in our time, cinema is not silent.”
映画を政治に巻き込むな、と批判を受けるかもしれないが、映画「独裁者」のユダヤ人の床屋が、「圧政のためではなく、自由のために戦え」と兵士たちに呼びかけた時、チャップリンは間違いなく、党派的であり、一方の側に組みしていたわけだ。現に、他国の侵略を受け、防衛戦争を戦っている国の指導者としては、映画界のかつての仲間たちに踏み絵を迫るのは当然のことではないか?
この映画にはポーランド侵攻の要素も入っていると、ウィキペディアにあったが、自分には、何がそれに当たるのかわからない。スターリンを信奉していた当時のチャップリンとしては、ナチスドイツと談合してポーランドを分割した「ソ連の侵略戦争」に多くは触れたくなかったのかもしれない。これは、あくまで、自分の憶測。
ソ連はナチスの支配からポーランドを救ったと主張したが、1939年から1941年の間に50万人のポーランド人を逮捕し、6万5千人を処刑している。(戦後、随分経ってから、ロシアは、カチンの森で戦争捕虜を大量処刑したことを認めた)ポーランドで300万人のユダヤ人を殺害してナチスに比べれば、もちろんマシなのだが、これが「救った」と言えるだろうが。
この映画で、ヒトラーに対抗する「自由と民主主義を守る戦い」への結集を呼びかけたチャップリンは、その7年後には、「正義の戦争」の偽善を批判して、戦争そのものを根底から否定する映画「殺人狂時代」を作るのである。所ジョージではないが、す、ご、い、で、す、ねー。
やっぱりチャップリンは天才。
ではでは