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注目クリップ~タイ的な、あまりにもタイ的な「ナーガの火の玉」の真相

akiyamabkk


※2021年8月11日に投稿。最新の情報を少し加えて再掲。


みなさんは「メコン川の謎の火の玉」という現象をご存知だろうか。 毎年10月から11月にかけての最初の満月の日(雨安居明けの日、仏教の祝日である)、メコン川から火の玉がうちあがる怪奇現象である。この現象が起こるノンカイ県には、毎年、たくさんの見物客が訪れ、今では東北タイの重要な観光資源になっている。 「メコンに住むナーガ神(蛇の神様)が、ブッダに感謝の意を表すために火の玉を上げるのだ」いうのだが、その、とってつけたような浅薄なストーリーが急造神話の匂いをプンプンさせている・・・というのが第一印象。 実はこの話、ずっと以前から「怪奇現象でも特異な自然現象でもない」と決着がついている話なのである。あらかじめネタを割ってしまうが、火の玉の正体は、対岸のラオスから打ち上げられる照明弾だった。以下、このことを映像で立証した、旧ITBのドキュメンタリー番組。放送は2002年である。


※ITB=Independent Thai Broadcasting 最近、ピター前進党前代表のメディア株問題で話題になった今は亡きテレビ局である。



ビデオクリップの25分30秒ごろに注目いただきたい。ラオス側の村人が照明弾を打ち上げると、メコン川を挟んで対岸のタイから歓声があがるのがわかるだろう。 隣国ラオスもタイの東北部も民族的には同じだから、文化、風習もほぼ同じである。しかし、長い内戦を体験したラオスでは、祝砲を天に撃って仏日(雨安居明け)を祝う習慣があり、それを対岸で見たタイ人が「火の玉だ!」と喜んでいるのが真相なのだ。(地域観光の目玉となった今では、ラオス側とのあいだに一種の「契約関係」がある可能性もあるだろうが、その点は番組では触れていなかった) 「ナーガの嘘」を暴いたのは、当時のITBの看板番組「トーットラハット」(「謎を解き明かす」)だった。しかし、村おこしに多大な貢献をした「ナーガの火の玉」にケチをつけられた地元の反発はすさまじく、番組責任者は左遷の憂き目にあったとされる。番組を制作した側としては、まさに「石流れて木の葉沈む」の思いだったのではないか? この番組が放送された後も、「ナーガ神の火の玉」イベントは、毎年多くの見物客を集め、地元にそれなりの金を落としている。メディアも名物イベントとして火の玉を中継し、今年は何発撃ちあがったと興味本位の報道を続けた。「嘘でもなんでも、楽しければそれでいい、パーティを台無しにするなんて愚の骨頂」、と、まあ、そんなところだったのではないか? しかし、ここに来て風向きが変わり始めたようだ。地方の観光収入を重要視するはずのタイ政府が、公式見解として「ナーガの火の玉の真相」=嘘、を認めたのだ。以下は、タイ科学技術省が提供する番組「Sci Find」から。


冒頭、「メコン川に溜まったガスは、燃えることはあるだろうが、火の玉を形成して空に撃ちあがるほどの推進力を持つことはない」と科学的な見解を述べたあと、上述のITBの番組を引用し、火の玉の色からいっても対岸ラオスから打ち上げられた照明弾であると指摘している。 また、パンティップという掲示板サイト(日本の2チャンネルより少し品の良いタイ最大の掲示板サイト)の有志が、30秒毎にシャッターを切る自動撮影で4時間にわたって撮影したところ、曳光して見える火の玉は全てラオス側から打ちあがっていて、水面から出ているものはひとつもなかったと結論が出たという。その間、タイ人は、火の玉を見て歓声が上げ続けていたわけである。 番組に登場したチェッター先生(チュラロンコン大学理学部教授)は、「毎年テレビの取材班が来て撮影しているのに、火の玉が水面から上がっている場面が撮影されたことは一度もない」と、このことを火の玉現象のおかしな点のひとつとして指摘している。 この点、筆者も、ある先輩カメラマンと議論したことがある。その方は「水面から火の玉が出るのを見たし、撮影した」と頑強に言い張っていた。しかし、数日してから「映像を確認してみると、水面からとはいいきれないものだった・・」とがっかりした声で電話をかけてきた。いつもは冷静な人なのに不思議だ。ナーガ神には集団催眠を起こさせる力でもあるのだろうか。 それはさておき、番組の先生は、おろかな民衆の代表を演じる女性レポーターの質問に答えてこうも言っている。 「照明弾なら、なんで銃声が聞こえないのかって?メコン川の川幅は約1キロメートルあり、音が到達するには3秒くらいかかる。光はすぐ見えるから、火の玉を見て見物人があげる歓声に音が打ち消されてしまうのですよ」


さらに言えば、火の玉がゆっくり上っていくように見えるのは見る角度のせいであって、斜め上方に打ちあがるのを距離を置いて正面から見れば、ゆっくり浮上するように見えるのだそうだ。 ここまで暴露され、科学的に説明されてしまえば、さすがに、「ナーガの奇跡」を強弁し続けるのも難しくなったのか、最近、「火の玉祭り」の観光客動員が振るわなくなってきたようだ。追い討ちをかけるように、コロナの影響でイベントは自粛されてきたが、いずれにしろ、もうこのヘンで「タイ的な、あまりにもタイ的な」「社会現象」には終止符をうっていいのではないか?でなければ、報道の大義に殉じて「ナーガの火の玉の真相」を暴いた、番組スタッフが浮かばれない。 しかし・・・、それは日本人的な生真面目すぎる考え方なのかもしれない。

ITBの暴露番組が放送されたのとほぼ同時期に、「メコンフルムーンパーティー」という映画が公開されている。「火の玉現象」ををめぐる人間模様を描いたウェルメイドな小品だが、こちらの方は、真相を90パーセントまで暴きながら、ラストシーンで全てを丸く収めるという離れ業を演じている。フランク・キャプラ以来の(名作「素晴らしき哉、人生!」)、ラストのファンタジーですべてを救うという、社会派コメディの古典的手法である。現実をリアルに描いておいて、ラストで観客のハッピーエンド願望を満足させる、名作「素晴らしきかな人生!」のやり口を使ったのだ。


ネタばらしになるからこれ以上は書かないが、いい加減といえば、これほどいい加減なラストはない。しかし、そのおかげて、映画はボイコットされることもなく商業的成功をおさめ、秀作という評価もえ、かつ、地元住民にとって「金の卵を産む龍」である、ナーガの火の玉伝説は、人気の観光イベントとして存続できたのだ。


下はこの映画のテーマ音楽。その題名は「信仰か理性か?」とある。制作者が片目をつぶっているのが見えてくるような意味深なタイトルだ。ここはやはり、最低限の知的良心を守りながら、映画をヒットさせ、地元の観光資源にも配慮した「タイ的な、あまりにもタイ的な」制作スタッフの知恵に、拍手を送るべきなのだろう。




※追記


2023年10月30日付のカオソット紙記事によれば、今年の雨安居明けの日、10月30日には、午後8時までに火の玉が61発しか打ち上がらなかった。その理由をチュラロンコーン大学のチェッター・デーンドゥアンボリパーン准教授はこう述べている。


「火の玉が雨安居明けを祝って向こう岸から打ち上がっている「祝砲」であることは明らかだ。火の玉の数が少なかったのは(ラオス側の)経済不振が理由だろう。川に溜まったガスが火の玉として飛び出るという説も荒唐無稽というしかなく、そろそろ事実を受け入れる時ではないか?」


しかし、「ナーガの火の玉行事」は昨年も、セター・タウィーシン首相出席のもと、大々的に催されたのである。タイラット紙などの報道によれば、「火の玉」はその後持ち直して、結果的に200発以上打ち上がったそうだ。これが、首相への忖度だったのかどうかは、言わぬが花というものだろう。


カオソット紙記事


<了>


参考

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