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注目クリップ〜タイ初の国産映画「二重の運命」と「ミス・スワン」

akiyamabkk



1927年7月30日、タイで初めて国産の映画が上映された。題名は「二重の運命」。犯人探しの探偵小説的要素のある活劇で、上のシーンは、活動写真の定番、ヒロインを「貞操の危機」から救う「追っかけ」の場面である。思ったより画像が鮮明なのに驚いた。35ミリフィルムで撮影された無声映画で、発足したばかりの「タイ映画会社」が制作、監督はプレン・スクウィリヤ、脚本アルン・ブンヤマーノップ。この映画のフィルムは破損が激しく鑑賞に堪えないとされていたが、42フィート、スチールにして1319枚分、上映時間約一分のフィルムが国立図書館で発見され、この歴史的作品を垣間見ることができるようになった。フィルムはタイ映画博物館が所蔵し、2012年に国宝に指定されている。


サギヤム・ナーリーサティアン

実はこの映画の4年前に、アメリカのユニバーサル社が監督、スタッフを派遣し、タイ人俳優が出演して「ミス・スワン」が作られている。タイ版ウィキぺディアによれば、スワンという女性が、波乱万丈、すったもんだの末、相愛の男性と結ばれるというメロドラマだったようだ。タイ国内で撮影された初めての映画だが、制作はユニバーサルにおんぶにだっこだったようだから「国産」とまでは言い難い。1923年6月22日の初上映には、観客が大挙押しかけて大変な騒ぎだったという。この記念すべき第一作の主演女優はサギヤム・ナーリーサティアン。当時のことだから、宮廷に仕える顕臣の娘、お嬢様であった。タイの映画女優第一号であり、この映画に主演した功績により、後年、王室に貢献した女性に与えられるクンジン(英国でいうところの Lady と訳されるが「伯爵夫人」とは意味合いが違うと思う。)という称号を得ている。


タイで初めての常設映画館は、1904年、日本人の手で作られ、「日本館」という名で地元の人に親しまれた。バンコクのチャルーンクルン通り、現在、アジアスティック(メナム川沿いにある観光施設、大観覧車で有名)がある当時の目ぬき通りに「日本館」はあった。時代が時代だから、日露戦争のニュースフィルムをもっぱら上映したそうだが、物珍しさも手伝ってタイ人の人気を集めた。当時、タイは、西洋諸国の植民地化の圧力にさらされていたから、白人と対等に渡り合う日本人の姿が小気味よかったのかもしれない。


タイで映画が初めて上映されたのは、1897年6月10日、エジソン型を改良したリュミナールのシネマトグラフだった。タイの伝統的影絵をタイ語でナン・ヤイとかナン・タルンと呼ぶが、これに対して、西洋式の映画は「ナン・ファラン」=「西洋の影絵」と呼ばれた。薄暗い劇場で、スクリーンに向かって映像を投射する様が、伝統的な影絵芝居を連想させたからだろう。しかし、「日本館」が人気を呼ぶにしたがって、映画は「西洋の影絵」ではなく「ナン・ジープン」=「日本の影絵」とタイ人の間で呼ばれるようになっていく。いつのまにか、西洋の文物を代表する名前に「日本」がくっついていくわけだ。「日露戦争」の記録フィルムが好評を博したことといい、東南アジアでの日本という国の歴史的位置づけが浮かび上がってくるようで、ちょっと面白い。


<了>


参考 


タイ映画に関するウィキペディア



「二重の運命」に関するウィキペディア



サギアンと「ミス・スワン」についてのウィキペデイア。



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