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◇ゴジラ−1.0(2023)映画感想文

akiyamabkk


ある映画配信サービスに加入したので、早速、評判のよかったゴジラ-1.0 を鑑賞。冒頭からかったるく、被曝前のゴジラの殺戮シーンもイマイチ迫力にかけ(被曝前だからサイズも小さいのだ)、主人公の特攻崩れが復員した時、妙に若々しい感じの近所のおばさんに詰(なじ)られるシーンで、ダーッとなって一度見るのをやめた。九死に一生を得て戻ってきた近所の若い衆に「お前らがしっかりしないから、日本はこんなことになって、自分の息子も死んだんだ」なんて言うやつはいないでしょうに。主人公を心理的に追い詰めるための、いかにも作り物めいたセリフで、女優の演技もわざとらしく稚拙だったから、「こりゃドラマとしては見れないな」と思って、早送りで見ることに決めた。


次に、早送りを止めたところで、「米軍はソ連との関係に配慮してゴジラに対して武力行使を行わないと決めた」・・・云々という状況設定の説明が出てきて、これにもまた無理矢理感、違和感。ゴジラに東京が破壊されてしまえば、占領政策への打撃は計り知れないのだから、米軍が出動しないはずがないのである。どなたかが指摘していたが、アメリカは原爆を使用してでもゴジラを止めたはずで、むしろ、「再びアメリカに核兵器を使わせないための」、旧軍関係者と米軍のせめぎ合いを描いた方が、よりリアルで、ストーリーに入り込めたように思う。原爆の使用を主張する米軍を説得して、旧軍の関係者が、知恵と自己犠牲によってゴジラを倒すのである。もっとも、理屈の通らない強弁を持ってして米軍を関わらせなかったのは、もっぱら予算の制約が理由なのかもしれない。


ということで、飛ばし見してオスカーを取った特撮だけじっくり見ようと思っていたが、主人公の元特攻隊の人が、事情あって育てている「娘」に別れを告げるシーンを見て気が変わった。まず、顔をくしゃくしゃにしてから泣き始めるこの子の泣き顔が(ま、子供はみんなそうやって泣くのだが)、自分の孫とそっくりで、思わず引き込まれたのだ。そこから気持ちのスイッチが入って結末まで通して見ることができた。


ゴジラと、今は「民間人」となった旧軍関係者との攻防は、それなりに面白く、特撮も迫力があり満足した。そして、「特攻を忌避した主人公の精神的トラウマの原因がゴジラ」・・・(笑)という不自然な「人間ドラマ???」に、無理矢理にでも感情移入して、もう一度見直すことに決めたのだ。先ほど述べた、主人公の「娘」が自分の孫に似ていて可愛かったことと、主人公を演じた俳優の演技が悪くなかったからである。


見直すと、随所に良い、泣けるシーンがあったが、失笑を禁じ得ない場面もやはりいくつかあった。例えば、主人公が、自分の精神的トラウマの理由が「ゴジラ」であることを、同居している相愛の女性に告白する時などは、少なくとも女性の方が、ゴジラを既に見ているか、その恐ろしさについて知っている必要があったと思う。そういう伏線なしに、いきなり「ゴジラが・・・」と言われても、「この人ひょっとして気が狂ったか」と思われるのが関の山ではないか。ところが、女性の方は、「愛の力」からなのかどうか、その荒唐無稽な告白を、ノーマークですんなり信じてしまうのである。見る方は、ただでさえ、かなり無理のあるストーリーに付き合って見ているのだから、「怪獣映画」という前提があるにしても、こういうところを雑に作ってはいけないと思う。


それから、銀座でこの女性がゴジラに遭難する時、現場にかけつけた主人公が、いきなり彼女を見つけてしまうのも・・・うーん、ビルの谷間を飛び回ることができるスパイダーマンなら可能だろうが・・・(笑)このご都合主義にも笑ってしまった。ある決意を固めつつある主人公が、自分の気持ちを打ち明けるために銀座で彼女と待ち合わせることにでもすればいいではないか。スパイダーマンのような完全フィクションの娯楽映画でさえ、そういうデーティルはちゃんと作っていた。エンターテーメントの映画なのだから、観客が見ている間だけストーリーに違和感を抱かななければ、それでいいのだが、脚本がそのレベルに達していなかったと思う。


制作者の狙いは、日本の伝統的ポリコレ(旧軍批判と特攻隊へのシンパシー)を順守しながら、真っ当な愛国的ヒロイズム(真っ当であっても日本ではこの言葉はタブーである)を描くことにあったと思うが、娯楽映画にとっては物語を転がす動力に過ぎないはずの部分(ヒッチコックのいうマクガフィン)が、裏テーマとして重くなり過ぎた感がある。直接の影響はハリウッド映画「アルマゲドン」あたりだと推測するが、戦犯コンプレックスのないアメリカなら難なく描ける自己犠牲のヒロイズムが、日本では幾重にも留保点をつけた上ではないと描けないという難しさがあるのだろう。正直言うと、自分は、この映画の回りくどい、条件付きのヒロイズムより、「アルマゲドン」の単刀直入なヒロイズムの方が見ていて感動したしスッキリした。


自分はもう、海外生活の方が長くなってしまったので、普通の日本人とは少し感覚が違うのかもしれない。私の住む国での愛国教育の露骨さ(「国のために血の最後の一滴まで捧げよう」という文言がすでに国歌に入っている)にも辟易するが、日本の「愛国アレルギー」にも違和感を感じるようになった。だから、この映画に対する評価も普通の日本人とは少し変わったものになるのかもしれない。


しかし、この映画、30年前なら、コントラヴァーシャルな映画として評価が二分されていたでしょうね。(映画史に残る名作「七人の侍」が「再軍備翼賛映画」と批判された時代もあったのだ)この映画が、すんなりアカデミー賞を受賞しちゃったことにも(技術的な部分への評価ではあるが)、安全保障におけるグローバルスタンダードというか、日本人が直面している、時代の流れのようなものも感じた。


気を取り直して最初から見たのは、若い俳優さん3人の演技が良かったからでもある。全部、知らない人だが、主役の敷島と、整備担当の橘役の人、機雷除去チームの若手、水島をやった人の3人である。(おそらく、水島とい名前は、「ビルマの竪琴」の主人公へのオマージュだろう。)脇役のベテラン俳優陣は、自分にはイマイチだった。特に、あの寅さんの甥っ子のどたどしい子役喋りが自分にはダメなのだ。お茶の水博士みたいな髪型は良かったが。


ところで、群衆の中に、橋爪功の姿を見たと思ったのは自分の目の錯覚だろうか。


採点 10-3.0で7.0/10


ではでは

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