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アラカン軍にロヒンギャ系住民殺害、居住区放火の重大疑惑!「革命勢力」は忖度し沈黙か?(フロンティア・ミャンマー)

akiyamabkk

写真は Frontier Myanmar 英語版から

2024年11月12日付同誌記事から冒頭を少し翻訳する。

 

◽️Fog of war: The battle for truth and blame in the Rakhine conflict(戦場の霧の中で〜ラカイン州紛争中の戦争犯罪、真相究明はなるか?)

 

 

リード 信頼できる報告によると、アラカン軍は、今年5月に、ブティダウンでロヒンギャ住民に対して人道犯罪を犯した可能性が高い。しかし、アラカン軍はレジスタンス勢力内部や市民組織の批判を抑え込むことに成功しているようだ。

 

本文 コ・マウン・マウン(仮名)は叔父の家に隠れて、窓からブティダウンの町が炎に包まれる様子を見ていた。

 

「逃げ遅れたロヒンギャはアラカン軍に囲まれて逮捕されました」と24歳の彼は言う。「彼らがアラカン軍だと分かったのは制服を着ていて、ラカイン語で話しているのを聞いたからです。」

 

マウン・マウンは近くの村に住んでいたが、5月17日の夜、干し魚を売る店で働きに、ラカイン州北部のブティダウンに来ていた。彼と20人の親戚は、叔父の家に避難していた。その家は頑丈なコンクリートの板で作られていた。

 

「私はアラカン軍の兵士が家にガソリンをかけて火をつけるのを目撃しました。隠れていたロヒンギャの中には、銃声を聞いて煙が立ち込める中、逃げたほうがいいと思った人もいましたが、叔父は隠れるほうが安全だと言いました。幸い、私たちが隠れていた家はに火は燃え移りませんでした」と彼は『フロンティア』に語った。

 

この火災は、アラカン軍とミャンマー軍がラカイン州の支配権を巡って戦っている中で起こった。アラカン軍は、州内すべての人々の自治を求めて戦っていると主張しているが、主にラカイン民族で構成されており、長年ロヒンギャと対立してきた。

 

アラカン軍が州北部の2つの町、ロヒンギャ系住民が多数を占めるマウンダウとブティダウンに進軍した際、ロヒンギャ武装グループから激しい抵抗を受けた。Arakan Rohingya Salvation Army、Rohingya Solidarity Organisation、Arakan Rohingya Army らの組織である。これらのグループは、ブティダウンの町でラカイン人とヒンドゥー教徒のコミュニティを攻撃したとされ、対する報復としてアラカン軍は、ロヒンギャ系住民の家を何千軒も焼き、民間人を殺害したとされているのだ。

 

アラカン軍の兵士は5月18日の朝に町にやって来て、夜間に軍と衝突し、それが町の破壊につながったと説明している。しかし、国軍は5月15日に撤退しており、アラカン軍と国軍との衝突はなかった。マウン・マウンらその時町にいたロヒンギャの情報提供者全員が『フロンティア』にそう語った。

 

・・・・引用終わり

 

今年5月、アラカン軍が、ロヒンギャ武装勢力の住民攻撃への報復として、ロヒンギャ系一般市民を殺害し、住宅に火をつけ、多くの家屋を焼きは払ったというのである。

 

今年、7月3日に ALJAZEERAに投稿された論説記事では、チッタゴン大学の Nasir Uddin 教授が国連のソースを引いて、次のように解説している。

 

The United Nations said it had collected witness testimonies about the killings of Rohingya civilians and the systematic torching of homes. It indicated that these crimes started after the Myanmar military withdrew from these townships and the rebel Arakan Army (AA) advanced.

 

国連は、ロヒンギャの民間人殺害や家屋への組織的な放火について、目撃証言を集めたと語っている。それらの証言は、ロヒンギャ系住民への戦争犯罪は、ミャンマー軍が町から撤退し、反政府勢力のアラカン軍(AA)が進軍した後に始まったこと示している。

 

 

また、ニューデリー拠点の WIO News は「放火は17日朝7時半、アラカン軍がブティダウンに入場してから始まった」として、ロヒンギャ系住民宅への放火をアラカン軍の仕業と断定している。


戦闘、放火、住民殺害の結果として、20万人のロヒンギャ系住民が町から逃げ出すことになったのである。ここまでは国際ニュースで報道されているが、その後、真相は究明され、責任者の処罰はなされたのだろうか? 


フロンティアミャンマーの記事が、事件のその後の顛末を伝えている。詳しくは、本文英文記事を読んでいただくとして、結論を言えば、三派連合(Brotherhood Alliance)の軍事的成功により、一躍、反軍勢力のヒーローとなったアラカン軍への忖度から、真相の究明は遅々として進んでいない・・・どころか、真相は闇に葬られそうな状況なのだ。

 

軍事面で少数民族武装組織に大きく依存する National Unity Government (NUG) は、強面でなるアラカン軍を刺激して離反させるリスクを取りたくないのだろう。NUGは、ビルマ族仏教徒を支持基盤とする国民民主連盟(NLD)の亡命政権だから、方針転換したとはいえ(亡命政権の現在の人権担当副大臣はロヒンギャ系の人である)、ロヒンギャの人権擁護のために、アラカン軍との連携関係を危険に晒すことまではしないということか。

 

しかも、亡命政権の現人権担当大臣は、2017年、国軍によるロヒンギャ系住民の虐殺放火事件が起こった時、「ロヒンギャが自分たちの家に火をつけた」と放言し、現場をブルドーザーで整地して、「証拠の隠滅を図った」と批判された人物である。 


事件発生当初は「真相究明と責任者の特定」を連名で要求した、人権NGOや民主グループも、アラカン軍の威勢に押されて、署名を撤回する組織が相次いだ。真相究明のための調査も進んでいない。アラカン軍は、当初、人権グループとの「話し合い」に応じる構えを見せたが、その後は回答拒否を続けているようだ。

 

レジスタンス勢力のアラカン軍に対する忖度は徹底していて、今年8月、アラカン軍のドローン攻撃により、女性、子供を含む100人前後のロヒンギャ市民が殺害された時、亡命政権は、声明すら出さなかった。人権NGOのグループは声明は出したが、5月の事件の際にはあったタワン族の女性グループの名前が署名から抜けていたという。この女性グループは、三派連合(Brotherhood Alliance)の一角、Ta'ang National Liberation Army の姉妹組織である。


ロヒンギャ系住民に対する戦争犯罪がアラカン軍の仕業であったとしても、「戦場の霧」の中で起きた、一部兵士の暴走という可能性だってあるかもしれない。しかし、アラカン軍が、越境侵攻したチン族支配地域でも、同じような問題を起こしているところを見ると、この組織の持つ、ある種体質的な、排他的マインドのようなものを感じてしまう。

 

参考 

 

フロンティアミャンマーは、こういう象徴的なエピソードで記事を締めくくっている。

 

When Frontier contacted AA spokesperson Khaing Thu Kha for comment, he first asked the reporter her ethnicity.

 

“Are you Muslim?” he demanded. “You said that you talked to the Muslim people in that area, so I would like to know if you talked to the Rakhine and other local people … Don’t just ask for information from Muslims.”

 

フロンティアがAAの報道官カイン・トゥ・カにコメントを求めた際、彼はまず記者の民族について尋ねた。

 

「あなたはムスリムですか?」と彼は問いただした。「その地域のムスリムに話を聞いたと言いましたが、ラカインや他の地元の人々にも話を聞いたのか知りたいです…ムスリムからだけ情報を集めないでください。」

 

<了> 

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