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「赤色エレジー」を「美しき天然」に重ねて演奏させてみた〜大瀧詠一「日本ポップス伝」から

  • 執筆者の写真: akiyamabkk
    akiyamabkk
  • 2024年7月18日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年7月20日

1972年(昭和47年)に発表された四畳半フォーク「赤色エレジー」のメロディを1902年(明治35年)作曲の「美しき天然(天然の日)」に重ねて演奏させてみた。どうしてそういう事をしたかは、後ほどわかります。



なんと、70年の時を経て、重ねて演奏しても殆ど違和感がない。


以下は歌詞のあるバージョン。「赤色エレジー」のメロディーは16小節しかないので、後半は歌詞を補った。オリジナルの歌詞ではなく、「夢」という、自分で作詞して「美しき天然」のメロディに乗せた創作唱歌の歌詞である。



「美しき天然」を「赤色エレジー」の伴奏として使っても全く違和感がないことがわかるでしょう。後半部分も綺麗に繋がって、もともと一つの曲だとしても、すんなり通る感じ。驚きました?


こんな事を私が独創で思いつくはずもなく、種明かしは、昭和歌謡界の鬼才、大瀧詠一が30年ほど前にやった事を真似しただけなのである。




上は、あるラジオ番組で、大瀧が実証したてみせた演歌の系譜。明治の「美しき天然(天然の美)」(田中穂積)、大正期の「船頭小唄」(中山晋平)、昭和初期の「影を慕いて」戦後の「悲しい酒」(古賀政男)を同時に演奏させている。これを聞いた時には感動したなあ。どうです、4つの曲を並べて演奏すると、一つの楽曲のように聞こえるでしょう。


※大瀧が「少しの音楽的素養があれば」と繰り返し述べている基礎的な知識とは「ヨナ抜き短音階」のことだろう。朝鮮半島の音楽にも影響を与えたとされれる日本演歌独特の作曲作法に関しては、以下のノートが詳しい。



ちなみに、この「ヨナ抜き短音階」を使って、音階を上り下りすれば、ズブの素人でも、演歌の作曲はできる。下が、この講座に触発されて作った演歌的唱歌。歌のできは別にして、それなりに「演歌」として聞こえるのが、音階というものの不思議なところだ。



ちなみにこれが長音階となると、がらりと曲の雰囲気が変わって、陽気で楽天的なものになる。下は、上のの演歌的唱歌を長調に変換したもの。今や、作曲ソフトを使えば、ワンクリックで変換ができる時代である。


どうです。何か、ほろ酔い加減でワルツでも踊れそうな調子の曲になるでしょう。こうなると、歌詞を新たに書きなおさなければならなくなる。


話がずいぶん傍にそれた。


自分には、これら演歌の名曲に特別の思いはなく、大瀧詠一のこの講座を聞いたことによって印象に残っている。強いて言えば「美しき天然」を「サーカスの歌」「ジンタ」として認識していたくらいか。佐世保海軍の軍楽隊隊長・田中穂積が作曲したこの歌は、レコード産業が発達していなかった明治期、巷を流して歩く演歌師によって全国に広められたのだそうだ。大瀧によれば、この「美しき天然」(天然の美)のメロディーが日本演歌の源流となった。


以下、大瀧詠一の「日本ポップス伝」1995年版。この年、貴重な音源を紹介しながらの約一時間半の講座が五夜に渡って放送された。今、聞き直しても、このラジオ講座は、日本歌謡史の最高の教科書だと思う。この講座をYouTubeで聞かなければ、好きでもない演歌の起源なんかに全く興味がなかったろう。


大瀧詠一には、長生きして、現代のボカロ世代の歌手たち、とりわけ、天才ADO の評価なども語ってもらいたかった。惜しい人を早く亡くしたものだ。


「日本ポップス伝1」


「日本ポップス伝2」


「日本ポップス伝3」


「日本ポップス伝4」


「日本ポップス伝5」



最後に、遊び心あふれた、しかし、妙にかっこいい、大瀧詠一の「ハイカラハクチ」。





大瀧詠一は2013年に亡くなっている。享年65。


合掌、ではでは。



<了>



参考・使用ソフト


Sinsy 

 

ぼーか郎 

 

楽譜制作ソフト 



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