公開から40年、映画「キリングフィールド」で主役を演じたカンボジア人医師
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ノート キリング・フィールドの主人公を演じたカンボジア人は、お医者さんをしていた人で、役者としてはズブの素人だった。この人自身は制作側にいて、演者になるつもりはなかったようだ。あまりにも記憶が生々しく精神のバランスを保つ自信がなかったからだろう。結局、他に相応しい人がいなくて、主役を演じることになったが、監督はこう言って、彼に役者の経験がないことを意に介すさなかったという。
「彼は日常生活で演じていたんだよ。演技ができなければポルポトの政権で生き残れなかっただろう。」
監督の言葉通り、この人は、キリングフィールドで一世一代の名演技を見せた。このエピソードは、ある映画評論家の「映画の演技は役者の個性のドキュメントである」という言葉を思い出させる。この人の奥さんは、出産時の多量の出血で、お子さんと共に亡くなったが、体調が悪化しても、産婦人科の医師である夫に最後まで連絡する事はなかった。夫に難が及ぶことを恐れたのだ。ポルポト政権下では、医者などの知識人は、腐敗した反革命分子とみなされて、殺されからだ。彼は、自分の素性を、政権が崩壊するまで隠しおおせたから、生き延びられたのである。
確か、彼は、亡命してアメリカに暮らしていた時、自宅に強盗に入られて殺されたと思う。不運は人だが、あの役を演じたことは、亡くなった奥さんやお子さんへの良い供養となったのではないか。映画が公開された1984年と言えば、和平が成立するちょっと前で、ポルポト派が国連の代表権を持ち、「虐殺は無かった」などとポト派を弁護する人が日本にもいたのである。この映画によって、ポト派政権下の虐殺の凄まじい実態が世間一般に知られるようになったと思う。もし亡くなった人に魂があるとするならば、泉下で奥さんも喜んだことだろう。
以下、ワーナーブラザーズの公式YouTubeから映画予告
ではでは
参考
※Haing S. Ngor