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映画感想文(2025年1月〜3月)

  • 執筆者の写真: akiyamabkk
    akiyamabkk
  • 4月5日
  • 読了時間: 8分

更新日:4月9日

2024年12月24日


「貧乏を憎み誰でもまじめに働きさえすれば 幸福になれる世の中を願うことがアカだというのなら わたしは生まれたときから アカもアカ、目がさめるような真紅です」


山田五十鈴の言葉。そういうことなら、ほとんどの人がアカではないか。いやあ、すごい人だったのですなあ。もうお亡くなりになったのかな。


ではでは




2025年1月5日



ノート 早稲田松竹で小津映画のデジタル修復版が連続上映されているようだ。素晴らしい!写真を見る限り画像はとっても鮮明。音はどうなんだろう。あのざーっというホワイトノイズは、なんとなく古い映画のイメージとくっついて悪くないのだが、やはり音も鮮明な方がいいのだろうな。早稲田松竹、懐かしい。どこにあったのかも忘れたが(笑)、こういうところで健闘しているのを見ると、嬉しくなる。


以下蛇足。もし、公開当時に見られた方がおられれば聞いてみたいのは、「その頃の、映像、音は、こういう感じだったのかどうか?」、ということだ。デジタル化によって、「より鮮明になった」・・・というか、デジタル化による映画の印象の変化はないかどうか・・・ということ。もし変わっていたしたら、デジタル化によって、我々は、オリジナルとは少し違った作品を見ていることになる。


大きな違いはないと思うし、デジタル化は必要でどんどんやるべきだと思うが、写真なども、デジタル写真とアナログでは、ずいぶん違ってきたような・・・以前ではありえないような、異様に鮮明な写真がスタンダードになりつつあるような気がする。つまり、三つの少しだけ違った作品があると考えた方がいいのかもしれない。「上映当時の原作品」「我々が見てきた名作映画としての劣化バージョン」「それを見慣れてきた世代にとっては『異様に鮮明な』デジタル復刻版」・・・とこの三つである。



2025年1月28日


京都文化博物館の解説文から


「市川崑監督は、この脚本を元に原作から湧きあがったやり場のない寂しさ・悲しさ、明治という時代の、澄んでいながらどことなく漂う静かな寂寥感を、スクリーンを通して表現。」


そうそう、自分が若い頃、この小説を読んだ時の感想も、まさしくこういう感じだったですね。見てみたい映画だが、京都は遠すぎる。というか日本自体が遠いのだが。


この映画での「先生」役は森雅之のようですが、私の「先生」のイメージは山本圭。語り手の若い人は・・・うーん、思い浮かんだら書きます。


世代が前後しますが、藤田進とかどうでしょう。旧制高校の学生、それなりの秀才、知的だが、単純、素朴に立身出世主義的なところもある。こういうイメージの役者は、時代が新しくなるほど探しにくくなると思います。


うーん、藤田進は、むしろ、自殺する主人公の友人の方かな。

しかし、完全に余談ですが、こういう世代、時空を超えた共演というのは、生成AIの進化によって、必ずしも不可能とは言えない時代になった・・・という感じもいたします。



2025年2月4日



ワーナーブラザーズの公式サイトから。 https://youtu.be/weuSzmxTntw?feature=shared 

◇シンシナティキッド(1965)


映画会社の公式ページが8分を超えるシーンをザクっと切り取って見せてくれている。サラリと撮っているが、マックイーンの逃走シーンは、スタントなしで、すごいことをやっているなあ。いやあ、素晴らしい。おそらく、後に対決する新旧二人のギャンブラーを紹介するシーンだと思うが、冒頭から、その豪勢なこと!確か、見たことのある映画だが、ほとんど忘れているので、また見たくなった。



2025年3月4日



アカデミー賞最優秀オリジナル曲賞のプレゼンターにミック・ジャガーがサブプライズで登場!しかし、「ボブ・ディランが断ったから自分が受けた」というのは、本当?それともジョーク?いずれにしろ、なんと気の利いたスピーチであることか!


唐突だが自分はこの人の踊りは何か変だと思う。ここで一首、


ックさんカツラ被りて踊れるや

 ニック・ジャガーがタコ踊りする


いつもこの人の名前を間違える。最初に「肉じゃが」で憶えたからだが、なんか魅力あるし、かっこいいですね、ミック・ジャガーは。


ところで、最優秀オリジナル曲賞は、どの映画のなんという曲だったのか?途中でキレてるからわからない。みんな、受賞曲なんかどうでも良くなってしまったのだ(笑)



2025年3月5日



これフェイクかな? キアヌ・リーブスが着ているTシャツに「神を信じる側にいることが喜ばしい」とあるのだが・・・。


Wikiに「アメリカの無神論者リスト」というのがあったが、そこにキアヌ・リーブスの名前もある。複数の記事によると、キアヌは仏教徒だという噂があったが、本人がインタビューでそれを否定しているのだそうが。佐々木閑先生のYouTubeによれば、オリジナル仏教は無神論のようなもののようだから、無神論者としてのキアヌ・リーブスが仏教に惹かれるのはわかるような気がする。


だから、この写真はフェイク画像で、Tシャツのステルス広告か、あちら側の人の悪い冗談かと思うのである。あるいは、こちら側の人の悪い冗談かも知れないが。「こちら側」とは、神様を信じない側で、私も日本人的にファジーな無神論者なので、「こちら側」と表現するし、「こちら側」の人は、なんとなく雰囲気でわかるのである。


あ、Has the most guns. And knows which restroom to use と続くから、キアヌ自身のジョーク、サタイアかな?最近は、普通にフェイク画像が出てくるから、こんなことまで疑ってしまうのだ。こうくると、当然、本人のジョークだろう、うーん、でも本人とは限らないのよな、これが。キアヌのキャラクターらしい風刺だとしても、他人が映像を作って投稿した可能性もあるわけだ。ああ、ややこしい世の中になった(笑)



2025年3月14日


またしても京都文化博物館の映画特集から。このところこの博物館が取り上げる映画の解説が、丁寧かつ「目から鱗」なのに感心しきりである。今回は山村聰監督の2.26映画。













2.26を題材にすると、やたらにエモーショナルな作品になる場合が多いようだ。最悪だったのは五社英雄監督、笠原和夫脚本の「226」で、実録モノの巨匠のシナリオだっただけに期待して見たが、全然ダメだった。監督がダメだったのだろう。口直しに、YouTubeで探して、某公共放送制作の226のドキュメンタリーをいくつか見ると、これらはまことに秀逸で、軍部の大物と裏で結託して国家権力を簒奪しようとした投機主義者としての「青年将校」の一面が、きっちりと理解できる作品だった。この佐分利信監督の「叛乱」も、ここにある映画の解説を読む限り、事の成り行きを徹底したドキュメンタリータッチで描いた作品のようで、ぜひ見てみたい。が、いかんせん、京都は遠いのである。




2025年3月22日




タイの国立フィルムアーカイブで、黒澤明の「夢」が上映される。「映画評論家が選ぶ大スクリーンで見たい世界の映画10選」という企画が進行中で、その中の一作なのだと言う。以下は、映画の紹介文で披露されたエピソード。


映画の共同プロデューサーだったフランシス・コッポラが、黒澤に「ゴッホの役は誰がいいですか?」と聞いたら、黒澤は「マーチン・スコセッシしかいないと思う」と答えた。その後、コッポラがスコセッシに打診したら、スコセッシは「これは断れないな。黒澤からの依頼なんだから」と言い、「グッドフェローズ」の制作を一旦中断して、映画の主人公がゴッホと対話するごく短いシーンを撮影するためにロケ地に向かったのだという。


「さすが黒澤!」と唸らされる逸話ではあるが、コッポラやスコセッシが引き合いに出されるということは、映画ファンの間でも、黒澤の知名度は少し落ちているのかもしれない。


自分は、「夢」の中で、このストーリーが一番好きだ。絵が好きな人で、「この絵の中に入って行きたい」と思ったことのない人はいないだろう。そういう、我々の持つ単純素朴な願望を映像にしてくれたことが、嬉しかったのである。「ひな祭り」のエピソードなどもそうで、あれは、「オモチャのチャチャチャ」の和風バージョンなのである。復員兵のエピソードなどもあったが、全体として、巨匠黒澤が子供に返って、自分の見たかった映像を自分で撮っている印象だった。だから「夢」なのだ。


スコセッシの話に戻ると、スコセッシが遠藤周作の「沈黙」を初めて読んだのは、「夢」のロケ地に向かう車中だったと記憶する。確か、映画宣伝のインタビューでスコセッシがそう語っていた。「沈黙」についてはあらゆる紹介記事を読み、You Tubeでスコセッシのインタビューをいくつも見たのに、結局、見に行かなかった。情報を詰め込みすぎて、もう見たような気になってしまったのだ。遠藤周作の原作も読んでいない。


この前、フジテレビの謝罪会見に遠藤周作の息子(龍之介!)が出ていたので、このことを思い出して、いつか「沈黙」は読んで、見るぞ、と思った。見てから読んでもいいが。



2025年4月4日



「舞踏会の手帳」(タネアカシあり)


・・・というのはすごい映画だな、多分(笑)。映画の結末を見るに、結局、救いは次の世代、というか、子供にしかないのだろうか?しかし、子供の世代にしても、結局同じことを繰り返すのだ。あの名台詞は、そういう制作者の目配せのようにも思う。ひょんな事から、ウィキでシノプシスを読んだだけなのだけど、映画を見るより、気持ちが昂った感じ。ちなみに、このウィキはほぼネタを全て割っているのでご注意を。



確か、この映画は、早稲田のACTミニシアター、オールナイトの常連作品だったと思うが、ロマンチックな映画を想像して、ちゃんと見ることが一度もなかった。始電待ちに少し寝るために入ったのだから、興味がない映画は見ないで寝ていたのだ。惜しいことをした。


40年前の自分に戻って、この映画を見たら、どう思っただろうか、ちょっと興味がある。多分、「なんとまあペシミステックな」と思い、途中で見るのをやめたのではないか?あるいは、どんでん返しのハッピーエンドを期待して最後まで見たかもしれない。しかし、大半の人生と同じく、どんでん返しのハッピーエンドはなく、大人の苦い述懐だけが残る、ま、そういう映画ですな。だいたいわかったので、多分、見ないだろう。


ではでは


以上、映画サイトに投稿した感想文から

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