Facebookで出会った「本物の趣味人」
ご当人のご存じないところで、全く余計なことを書く。5、6年前からフェイスブックで友人になった年上の投稿者に(今年還暦の自分より7、8年上か?)、A さんという方がいる。
この方がライフワークとしているのが、黒澤、小津、溝口の影に隠れた日本の名監督・成瀬巳喜男、亡命ドイツ人の職人的名匠・ダグラス・サーク、現代のリアルを描く英国の左翼映画作家ケン・ローチの全作品鑑賞、批評なのだが、この度、成瀬の全作批評が完成した。成瀬巳喜男の「浮雲」「稲妻」「母」「山の音」くらいしか見ていない自分は、この方の投稿を読むことで、この日本を代表する映画監督の本領に少しは触れられたような気がする。氏の映画解説を読み終えたあと、映画を一つ見終わった時のような感慨を覚えて、大きなため息をついたことも一度ならずあったのである。
以下、A氏が(現存する)全作品網羅を伝えるフェイスブック投稿。
無声映画時代を含めて、最近、パブリックドメインとなった旧作の復刻版が次々と出ていて、この映画監督の全体像を振り返る上で、これ以上、最適な時代はないのではないかと思う。同時代に見ていた映画批評家でも、初期からすべての作品を見た人はいないのではないか。そういう意味でも、氏は、今だからできるこの種の仕事に先鞭を付けたと思う。(もちろん、プリントが現存しないものもあり、その点は如何ともしようがなく、氏は、成瀬作品の探究の旅をここで「一旦終了する」と述べている。)
この方のすごいところは、必ずしも「名作主義」ではないところである。ジャパンホラーの名作で「リング」という作品があるが、ハリウッドリメイク版を含めて、最高に怖かったのは、最初に映像化されたテレビ版だと言われている。見ていなかった自分が悔しがると、「それは録画して自分は持っています」とサラッと書いてのけた。そのコメントを見て「あ、この人は本物だ」と尊敬の念を抱くとともに、同じように網羅的に集める趣味の持ち主であった亡き姉貴のことを思い出して親しみを感じた。テレビ版の時点では、「リング」はまだ名作の定評を得ていなかったのである。確か、伊東四郎+小松政夫+キャンディーズの爆笑コント、「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」なども録画しておられたと思う。
音楽、ミュージカルへの造詣も深く、日本で公演したブロードウェイミュージカルの主要なものは、ほぼすべてを劇場で見ているのではないか。若いころホテル勤めだった氏は、ホテルに宿泊していたある有名歌手の部屋を訪れ、サインをもらっただけではなく、氏の熱意にほだされた大スターと会話が弾んだこともあったらしい。あとで、ホテル側から大目玉をくらったようだが(笑)、忘れられない若き日の思い出として、ご自身が書いておられた。それほどのミュージカルファンだったので、最近伝えられた、ある伝説的ミュージカル歌手の訃報には、一方ならぬ喪失感を感じておられたようだ。
最近、ご自身も大病され大きな手術をされたが、そこからの復帰の際には、「フェイスブックの友人の励ましの言葉に助けられた」と書いておられた。私などは、その末席に連なるか連らないか、という程度の人間で、同じように敬愛の念を抱いた、古い友人がたくさんおられるのである。それは、氏の映画、音楽に関する膨大な知識に対しての尊敬だけではなく、氏の投稿を読むうちに感じられる、目の公正さ、社会正義へのこだわり、すべての作品、主張に対するフェアプレイの精神に対して、自然と敬意を抱くようになるからだと思うのだ。小林信彦が「お笑いに対する皮膚感覚だけ異様に発達して、倫理観の欠如したオタクは気持ち悪い」と書いていたが、氏は、そういう人の対極にある「オタク」だと思う。自分が「本物の趣味人」だと感じる所以である。
常々、氏がフェイスブックに投稿したものをまとめられて、一冊の本にしてはどうかと夢想しているのだが、これは、全くの余計なお世話なのかもしれない。以前、若者向けのあるトレンド雑誌(ポパイだったか?・・・)の編集を手伝っていた・・・と書かれていたとうっすら記憶しているし、身辺報告の文章などから、現在でも、出版関係の仕事を続けておられる可能性が高いのではないかと思う。だから、氏ご自身に全くその気がないのかもしれないし、逆に、そういう話が、現実に進んでいる可能性もある。どちらにしても、自分がこういう事を書くのは、全くの無意味なのだが、「とにかくこの人の投稿を読んでみてください」と薦めたい気持ちが抑えられなくなり、身の程もわきまえす、こういう文章を書いた。
ではでは
<了>
Aさんのフェイズブックページ