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ADO日誌(2024年)

akiyamabkk

2024年1月23日


◇究極、正統のアニメソング「紅蓮華」



これと、ADOの「新時代」は、究極のアニソンという感じがするなあ。Lisa がファーストテイクで歌うバージョンも感動的だが、自分はやはり「ガンガンに来ている」こちらの方がいい。「鬼滅の刃」も見てないが、Demon Slayer という英題から連想するのは、「どろろ」の百鬼丸だ。予告映像を見る限りは、あの一種独特の暗さ、異常感覚はないようだが、その分、凡庸だが楽しく見れるのかも。以下は、ファーストテイクのバージョン。



以下、ADOの「新時代」



ではでは



2024年2月1日(木)



ノート アイドルにヘビメタを歌わせるという発想は凡庸だし、昭和期にもあったが、ベビーメタルのあの完成度はすごい。このボーカルの女の子の声の強さはどうだ。外国のユーチューバーのリアクションを見ても、まず驚いているのは、彼女の声の透き通った強さ、特に、高音地声のそれである。ADOなどでもそうだが、言葉の意味は理解できなくても、声の強さは伝わるのだ。考えてみると、我々が叫んだり、話したりする時の第一次情報は、言葉の意味よりも、声の質なのである。例えば、緊張感のないだらけた声で、緊急の情報を伝えても、切迫感は伝わらないだろうし、逆に、意味は分からなくても、叫びに、驚きや、畏れや、恐怖がこもっていれば、事の緊急性は伝わるのである。



2024年2月12日(月)



ADOの「うっせえわ」タイ語バージョンがあった。後で、日本語に訳してみよう。タイの若い人はどういう事に「うっせえ」と思っているのだろうか、興味がある。


※字幕をざっと読んでみると、なんと、ほぼ直訳だった。この辺が、このバンドの弱さではないか。もの言えば唇寒し、というのがこの国の現実なのだが、それにしても、ヒットさせようと思うなら、もう少しタイ人の若者の琴線に触れるような歌詞にしないと。よく聞き散れないが、うっせえ、うっせえ、というところだけ日本語で歌っているよう。フレーズの最後のトゥというのは、〜したら、というカジュアルな命令、勧誘の接尾語だと思う。日本語の意味からするとおかしいのだが、英訳(shut up)からタイ語にしているからこうなるのだろう。


ADOのバンコクでのコンサートは忘れている間に終わってしまった。サンダードームという比較的小さめのコンサート会場が満杯になり、タイのADOオタクの間では大盛況だったが、マスコミや世間一般の注目度はイマイチという感じか。


コンサートの報告をしてくれたタイ人ユーチュバー、パッタイさんによれば、オープニングは「新時代」、アンコールでは、「逆光」「Stay With Me」「千本桜」しめに「踊」を歌ったそうだ。「千本桜」は分かるような気がするが、松原みきの「Stay With Me」を歌ったのはちょっと意外だった。しかし、タイのJポップファンは意識したこの選曲は大当たりだったようで、パッタイさんは、この曲が流れてきた時、周囲のJポップオタクたちと一緒に涙を流したという。

以下、パッタイさんのADO コンサートリポート。



追記 ADOのコンサートがバンコクであることを忘れていた。ま、覚えていても、行ってないが。タイ人ユーチューバー、パッタイさんの報告によれば、タイ語の翻訳字幕を出すタイミングがずれたり、細かい齟齬はあったが、全体的にコンサートは盛況だったよう。全体で21曲、アンコールでは4曲を歌うという熱の入れようだったそうだ。海外での初めてのコンサートなのだから力が入るのは当然か。今回のアジアツアーに、大陸中国が入ってないのは何故だろう。基本的にADOの歌は、世の中をハスに見た一癖あるコンセプトだから、大陸方面とは相容れないのかな・・・、というか、中国の人民はADOに共感するくらい、十分に成熟、退廃しているが、中国共産党的建前(今や、建前そのものもアヤシイが)とは合わないのかもしれない。権威主義政権にとって、人民の本音ほど嫌なものはないだろうから。


ではでは



2024年2月21日(水)



ノート これなんか、ルッキズムの偽善的な観点からすると微妙なタブーに触れていて、ADOの圧倒的な歌唱力によって強引に肯定的なパワーに変えているのである。驚いた。多分、今の若い人は、こういうネガティブなものを通過した上でないと、落ち着いて世の中に対抗する気持ち、安心できる鎧が得られないのではないか。「自分ではなく社会が悪いと考えるのは敗者の戯言だ」と与党の政治家から、ホリエモン、吉本の大物芸人にまで、朝から晩まで、陽に影に、言われ続けるのだから、大して能力にも容姿にも自信がない普通の若い人、特に女の子は、こう逆張りして自分を守るしかないわけだ。それにしても、自民党の政治家がそういう事を言うのは当たり前だけども、お笑い芸人にまで、それをやられてマウント取られるとキツいだろうな。念のため、この歌の歌詞をメタファーと捉えると全然面白くない。これは容姿にコンプレックスを持った女の子の歌なのだ。それは、ADOその人かもしれない。



2024年3月1日(金)



ノート 歌詞は一言も聞き取れないが、聞いていて心地よいし、楽しい。この感覚が分かっていれば、半世紀前から、もっと外国の音楽を聴いていたことだろう。しかし、その事を、日本人の日本語の歌を聞いて分からされるとは!和楽器バンド、ADO、そしてこの Creepy Nuts 。一発で好きになった。おかしいと思われるかもしれないが、この歌、ちょっと、ロシア民謡のような懐かしい響きも あるのである。「一週間」とか「ポリュシカポーレ」とか。


The First Take のバージョン





2024年3月2日(土)



ノート いやーっ、やっぱアドは天才。この歌をピアノ伴奏でなんて、アカペラで歌っているようなもんでしょう。それで、この完成度。


この二人、多分兄弟で、メガネをかけた方がラッパーという触れ込みである。こういう人たちと一緒に歌を聞けば、多少は、孤独も和らぐというものだろう。「アドを語り合う人がいない」という孤独である(笑) おそらく、リアクションユーチューバーの社会的役割というのは、その辺にあり、だから、再生数を稼ぐためにも、決して悪口を言ったり、気乗りしない様子を見せたりしてはならないのである。この人たちは、そのへんをよく心得ていて、絶賛一本道、ノリも、声も、滑舌も、体の動きも、全て素晴らしく、ファンを有頂天にさせてくれる。アドに関しては、この人たちも、マジでファンなのだろうから、半分くらいは、たくまざるリアクションのプロなのである。うるさいのが玉に瑕だが、これは、まあ、仕方ない。


ところで、このピアノ伴奏、シューベルトの「魔王」を思い出したのは自分だけだろうか。おどろおどろし(笑)



2024年3月7日(木)



ノート 大谷の妻の素性は詮索されても仕方ないが、Ado の素性は詮索すべきではない。この動画によれば、お父さんは、クイーンとキッスのファン。ディズニーの歌(特にシンデレラ)が大好きで、6歳でボーカロイドに出会う。14歳で、「歌い手」としてYoutubeデビュー。自分のハンドルネームをADO とした理由は非常に感動的であり、このクリップを作った外国の人も感動している。最近まで知らなかったが、Youtube的には「歌い手」という言葉は特別な意味があって、顔出しせずに、ボーかロイド曲や、他の人の歌をカバーして、「〇〇を歌ってみた」と題して投稿する Vtuber のことを言うのだそうだ。そういう、脇役的キャラを「カッコいい」と感じるのが、まずこの人の個性なのである。大した才能だし、面白い性格の人だな、と思う。



2024年3月18日(月)



ノート バンコク公演の後、ADOがタイのユーチューバー(バンコク公演のリポートを上げていたパッタイさん)としたインタビュー。冒頭に、カオソーイと言っているのは、先に紹介した北タイのカレーソバ&カタ焼きそばのこと。さすがに、イントネーションも完璧である。音痴(自分)に声調言語は向かないという私の持論が、陰画的に証明されたかたちだ。まあ、音痴に向いているのは日本語だけかもしれないが。


今回の海外ツアーでは、各国で、こうやってチューバーを選んでリモートインタビューを受けることにしたようだ。香港でもやっているのを見たし、マレーシアでもやってると思う。その人選が、ギリギリのインフルーエンサーというか、普通のお宅ユーチューバーなのである。登録者数で選んだりしていない。この辺り、徹底しているし、受けごたえの生真面目さにも100%好感が持てる。


「うっせえな」の、自分の生真面目さにうんざりして爆発寸前の優等生はADOその人なのかもしれない。歌ではもう爆発しているではないか、と言うかもしれないが、あの歌は「爆発している」というより「発散している」という感じなのである。



2024年3月21日(木)



ノート 水原一平ショックからなかなか立ち直れないが、もうこれは推移を見守るしかない。大谷が引退を余儀なくされるような事態は避けられそうだが、一平氏の証言が1日で180度変わってしまっているのが少し気になる。結婚相手の件では、アクセス数稼ぎのためにYouTubeで飛ばし記事を書くのもご愛嬌だったが、この件でそれをする連中には「このバカが!」と率直に思ってしまう。こういう時は、天才ADOの歌でも聴いて気分変えるしかないようだ。



2024年3月22日(金)


ノート ロンドン公演も大成功だったよう。むかし、日本人が、英語がよくわからないのに、洋楽に夢中になった、その逆のことが今起きていることに驚かされる。ヨーロッパのADOオタク。連中はマジだ。アジアよりも、ボルテージが高いのではないか。しかし、ライブ映像の切れ切れの声からでもわかる圧倒的歌唱力。これは感動するだろう。「愛して、愛して、愛して」なんか、常識で考えると、ライブで歌える歌ではないのだが、歌っているのである。



ADOのニューヨーク公演では、携帯の使用禁止を徹底させるために、Yondor Pouch なるものに携帯を収納させるらしい。元々、子供が学校に携帯を持ち込む時、授業中に使わせないために使用するものだという。携帯で撮っているところを見つかったら即退場とも書いてある。ADOの顔を撮らせないために厳重にやるのだろうが、ロンドン公演では、誰もこの規則を破る人はいなかった、と公演をレポートした英国人が驚いていた。確かに、今まで、オフィシャル以外のコンサート映像を見た事がない。



調べて見ると、Yondr pouch に携帯を入れると自動的にロックされ、ロビーまで行って解除器をタップしないと袋が開かない仕組みになっているようだ。日本のコンサートでも一般的に使われているのだろうか。



2024年4月1日(月)


これは、死んだ人にまた会えると信じてみようという曲だろう。違うか。でも、そういう気分の時に、そう思わせるADOはやっぱり天才。





2024年4月2日(火)


コメント欄から

my grandpa died this morning due to cancer and currently im hoping we can get this to play at his funeral... he was the only family member that enjoyed Ado's music with me and I'll miss him dearly





2024年4月6日(土)



デビュー曲「うっせえわ」のライブバージョン。さすがの歌唱力、一番はほぼスタジオバージョンと変わらないのである。これだけ遜色なく歌えるシンガーは少ないのではないか。二番以降のスクリームは、会場にいない観客にとってはちょっとやり過ぎ感があるし(会場にいたら、ただただ熱狂だろう)、何より喉が心配。大方の人がそう思うのではないか。



2024年4月14日(日)



ノート この歌は、たとえば、イランみたいな国では発禁になるのだろうか。日本人にとっては、神ってる、とか、神回、みたいに使う「神」という言葉の普通の語感なのだが、ニーチェの有名なキャッチフレーズがドイツ語で出てくるそうだから、その時点でアウトかも知れない。ADOの持ち歌ではなく、元はボーカロイド曲。最初に聞いたときは、ついていけん、と思ったが、聞いているうちに好きになった。思わず、吹き出しちゃうような警句がいくつもある。日本人は神様を信じてるの?と外国人に聞かれた時、この歌を聴いてみて、と言ってケムニマク手はあるかも。しかし、この歌の最後のフレーズからすると、何かを信じたいとは思っているわけで、そう言われてみると、自分も信じられるものなら信じたいと思っている面もあるのだ。



2024年4月22日(月)



ノート 「この人たちは、いつも、車の中で、YouTube のリアクション投稿をやっているのだが、彼らが今、どういう事になっているのか、ちょっと興味がある。この二人から連想されるキーワードをインプットして、ChatGPTに映画のシノプシスでも書かせてみようか。コレは、驚くほど速く30秒くらいで、それなりの出来のものを書いてくるのである。」


・・・と、以前の投稿でこう書いたので、実際にやってみる。まず、キーワードは一番月並みな設定で。


<男二人 車の中でYoutube Reaction投稿 中年ボーイズラブ アニメ好き ADO 上機嫌に生きる >


以下、AI の回答



タイトル: "オタクな友情"


舞台は、大都市の高速道路。主人公は、アニメ好きであり、中年の男性2人組、タケシとヒロシです。


彼らは、車の中でYouTubeに動画を投稿することを趣味としています。特に、アニメや映画のリアクション動画が得意で、彼らのチャンネルは一定の人気を誇っています。


ある日、彼らは新しいアニメのエピソードを見ながら、生のリアクションを収録しようと決意します。しかし、予期せぬトラブルが発生し、車は高速道路の真ん中で故障してしまいます。


そこで彼らは、ADO(アニメ・ドライブ・オタク)と呼ばれる自称「アニメ愛好家の修理屋」に助けを求めます。ADOは、彼らのアニメ好きに共感し、車の修理を手伝う代わりに、一緒にアニメの話題で盛り上がることを提案します。


彼らは車の修理をしながら、アニメの話やキャラクターの論争を熱く語り合います。そんな中、彼らの間には深い友情が芽生えていきます。


修理が完了し、彼らは再び道路に戻りますが、この経験が彼らの絆をより強固にし、生きる上機嫌で楽しい日々を送ることを決意します。そして、彼らのYouTubeチャンネルは、新たなファン層を獲得し、さらなる成功を収めることになります。



これは使えない。ADOが日本の人気歌手であることも、ゲイの話であることも理解していない。


少し、キーワードを足してみる。


<男二人 車の中でYoutuve Reaction投稿 中年ボーイズラブ ゲイ 妻帯者 家族との葛藤 アニメ好き 人気女性歌手ADO 上機嫌に生きる仮面 nomad生活へ 自由> 


・・・とかなり誘導してみた。



タイトル: "仮面のオタクライフ"


主人公は、妻帯者でありながらゲイのアニメ好きの中年男性二人組、タケシとヒロシです。彼らは車の中でYouTubeにアニメのリアクション動画を投稿し、視聴者からの人気を集めています。


しかし、彼らは自分たちのゲイであることを公にすることに葛藤を抱えています。特に、家族との関係や、社会的なプレッシャーが彼らを苦しめます。彼らはこの状況から逃れ、自由を求めてノマド生活を始めることを決意します。


彼らの車の中での生活は、アニメやゲームの話で盛り上がりますが、同時に自分たちのアイデンティティや家族との関係についても深く話し合います。そんな中、彼らは人気女性歌手ADOに出会います。


ADOは彼らのアニメ好きを知り、彼らのYouTubeチャンネルに興味を示します。彼女の前で素の自分たちでいられることに喜びを感じ、彼らはさらに仲良くなっていきます。


彼らは、自分たちのゲイであることやアニメ好きであることを受け入れ、仮面を脱ぎ捨てることを決意します。そして、彼らのYouTubeチャンネルは、自由な生き方やポジティブなメッセージを発信し、多くの支持を集めることになります。



多少、マシになったか・・・な。


結局、人間がキーワードを操作する技術に、シノプシスの出来はかかっているようだ。しかしそのスピードには驚かされるし、ADOを「アニメドライブオタク(Anime Drive Otaku)」と解釈したところなどは意表をつかれた。これは使えない例だけども、瓢箪から駒が出ることもあるのかもしれない。


引き続き、気が向いた時に、キーワードによるシノプシスの改善を図ることとする。イメージとしては「ボートの3人男」のような映画のシノプシスである。


ではでは



2024年4月23日(火)


ノート 今日はこの歌。アニメーションを見て姉貴たちの事を思い出した。しかし、ADOは普通の歌を普通に歌ってもうまい。感動した。





2024年5月12日(日)



ノート やっぱりADOは天才。あの都はるみっぽい、ハーあああっ、という民謡の合いの手というか、何というか、とにかくあれが、ADOのトレードマークとして外国人にも受けているのだが、このリベリオン というロック調の曲にも登場する。52秒くらいのところ。


しかし、最初に連想した演歌アニソンや都はるみは、声質的にああいう感じになることはあっても、単独で、ハーあああっ、とやることはないのですね。あれ、源流は比較的新しくて、ADOの出身母体である「歌ってみた」のボーカロイド曲、「エゴロック」あたりではないか。(下の34秒くらい)



そして、この、ハーあああっ、を完璧な節調でやるのが、このボーカロイド曲をカバーした和楽器バンドの鈴華ゆう子さんなのだが、これは、ADOの方が先だろう。ADOは、この、ハーあああっ、をデビュー曲「うっせえわ」の頃からやっているのである。




あの、ADOの ハーあああっ、が世界を席巻するかもしれないので、一応、歴史的な考察を試みておいた(笑)


追記 後に、デビュー前のADOが、すりいの「エゴロック」をカバーしていることを発見、記事にして投稿しておいた。あのハアああああ、の起源が「エゴロック」にあることに、ほぼ確証が持てた。




2024年5月15日(水)



ノート この人の Mashup の編集は本当にうまい。椎名林檎の詞は、現代詩としても日本語としておかしいのだが、4畳半で下宿生活を送ったものには、なんか感じがわかる。おそらく田舎者なのではないか(笑) いやあ、それにしてもADO は天才。ADOがカバーしてくれたことを、椎名林檎は泣いて喜んでいるそうだが、多分、本音だろう。



2024年5月17日(金)



ノート すごい、このベルティング、地声高音とでもうのか。意味がわからなくても、外国の人が圧倒されるのはこれなのだ。詞は、おそらくボーカロイドソングとして書かれたものだろうし、思春期の気持ちの揺れを歌った、ちょっと奇を衒ったラブソングといったいったところだろうが、「心という名の不可解」という題名は気に入った。今、佐々木閑先生のオンライン講義で、仏教をカルチャーセンター的に学んでいるが、お釈迦様が格闘したのも、煎じ詰めれば、この「心と言う名の不可解」なのですな。釈迦は、この「心という名の不可解」に囚われて社会に適応できない人たち、ほとんど病気の少数者のために、「島社会」「療養所的な避難場所」を作ろうとしたのだ・・・と佐々木先生は述べている。この指摘には衝撃を受けた。仏教は、第一義的には、社会的マイナリティのための宗教だったというのである。ADOの歌に惹かれる人の中には、おそらく、社会的不適合者、世の中のメインストリームの価値観に全力で乗れない人が多いのではないかと思うし、発達障害の子どもたちなども、そこに含まれるのではないか思う。自分も、当時、そういう言葉が有れば、発達障害とラベリングされていただろう。だから、年甲斐もなく、ADOのファンになったのかな、と思う。「ギラギラ」を聞いたときにもそう思った。



2024年5月18日(土)


日本語で歌う歌手が、外国の人にこれ程のインパクトを与える時代が来るとは思わなかった。しかし、考えてみれば、日本人の殆どが、以前は、意味がわからないまま、洋楽に感動していたのだ。





2024年5月24日(金)



ADO と吉乃と弱酸性がカラオケで歌う生歌を録音して、ADOのオフィシャルサイトで公開。Ready Steady を共演した三人である。ADOの歌唱力が群を抜いているので、決して下手ではない二人が下手に聴こえて気の毒な感じ。ADOが気を遣って、時々わざと下手に歌っている気配もある。


しかし、吉乃という女性ボーカルは、あの変な発声、発音の仕方に妙な魅力があり、クセになる。ADOのような安定感はなく、音程が時々外れたりするが、そこがよいのである。3人ともボーカロイド世代で、YouTubeの「歌い手」出身。「顔出しせず」を貫いて、コンサートもシャドウで見せるスタイルは、ADO が切り拓いた道であり、他の二人は年齢に関係なく、ADOに先達としての敬意を払っているようだ。


少なくともADOと吉乃は、内向、引きこもり、オタクタイプの「陰キャ」(と言うらしい)のようで、以前ならこういう子たちは、吉本芸人風の「陽キャ」にいじられながら保護されるくらいしか居所がなかったのだが、こうして堂々と?カラオケに集まって自己主張できるのは、ボーカロイドどネットのお陰だろう。


もちろん、抜群の才能があってこその話だが、ネットが無ければ、彼らの才能が、薄暗いクローゼットの片隅から発掘され、日の目を見ることはなかったろう。また、彼らは、普通人には歌唱困難なボカロ曲を幼少期から聴いて育ったお陰で、抜群の歌唱力を身につけた世代なのである。(ボカロ曲は、普通の歌に比べて1.3 から1.4 倍がた音程が高く、また、単位時間あたりの歌詞数が多いのだという。筑波大学の研究だそうだ) ようは、彼らは、日本歌謡界のアマチュアエリート出身なのであり、ADOはその中から出た最高傑作、日本歌謡界の井上尚弥なのである。


ちなみに、ADOの歌がスタジオ加工の産物ではないかと疑う人は、2350あたりの「不可幸力」を聞いてみてください。歌を加工していない事は、他の二人の歌声がハッキリと生歌(それなりに下手・・・というか上手いのですが、ADOと比べると・・・)であることから明らかです。


ではでは



2024年6月4日(火)



◇アニメ「チェインソーマン」の主題歌をカラオケで歌うADO


このADOのカラオケもすごい。最初、微妙に音程が狂ってるような気がしたが、圧倒的な声の迫力に、そのうち気にならなくなった。「初めて歌う」、と歌う前に言っていたが、多分、本当だろう。


ADOの曲や、このカラオケでADOたちが歌っている歌を聴くと、「メチャクチャだなあ」と思う時もあるが、少なくとも言いたい事はあって作っている感じがする。「あーあー、川の流れのよーにー」のように、喜納昌吉の「花」をパクって、適当に耳障りのよいフレーズを並べただけの、悪い意味で鳥肌ものの歌詞ではないのである。これは、日本の新しい歌を聴き始めた理由の一つ。


ボーカロイド系の歌が多いから、ボーカロイドが日本の歌謡曲の歌詞を救った、と言えるかもしれない(笑)ボカロの作詞者は、自分に言いたいことがあって、自由に作っているのだから、マーケティングに基づいて、職業作詞者が、受け手のレベルにたかを括って作るスカスカの歌詞よりは、内容が詰まっているわけだ。


ADOたちの歌を聴いて「チェインソーマン」を見たくなった。「努力、未来、beautiful 」なんとか、というサビが良い。努力を一応ハスに見ながら、結局努力するしかないという、メッセージの今時なバランスの取り方がよい。・・・とか、なんとか言いながら結局見ないのだろうが。


ではでは



2024年6月6日(木)


ノート まさかこの歌をライブで歌うとは!ここまで聞いただけても、すごいとしか言いようながい。200人以上が待機しているもわかる気がする。ADOが「あのサビの部分」をどう歌うのか、早く聞きたがっているのだ。




2024年6月12日(火)



ノート ADOの新曲。それなりに評判はいいが、自分などには、ADOの圧倒的な高音地声が聴けないのが物足りない。それと歌詞、特にサビの歌詞が陳腐。「あなたと私、煌めく街角で会えたら」には「星降る街角かい!」とチャチャを入れたくなった(笑) 演歌の歌詞ならよいが、ADOの歌う歌としては拍子抜けするほどストレート、ありきたりなのだ。


このリアクション投稿を引用したのは、日本語の歌を聞く時の聞き方が面白かったから。この男性ユーチュバーは、外国のADOファンの中でも比較的歌詞にこだわる人なのだが、翻訳テロップがついているのに、曲をまず聞いてから戻って歌詞を読んでいる。こうしたリアクション投稿はファーストインプレッションを撮るのが原則だが、こういう聞き方は、テレビやラジオで新曲を聞いていた頃はできなかったのである。


この歌の歌詞で自分が少しいいと思ったのは、「あなたの見ているすべてが欲しい」という部分だが、この人も、翻訳を読み上げる中で、I want everything that you look at を2回繰り返し、holy(?かな)と小さく呟いていた。翻訳で失われる部分ももちろんあるが、伝わるものは伝わるのだ。海外で日本語の歌が、「日本語のままで」少しは受けいれられるようになったのには、こういう理由もあるのかも知れない。


しかし、こういうことも、外国語字幕がないと始まらないわけで、The First Take が海外のYouTubeでよく取り上げられるのも、一発勝負のコンセプトが面白いという他に、マメに英語字幕をつけているからだろう。だから、ADOのライブ映像にも翻訳テロップをつけた方がいいと思う。海外での受け入れられ方が間違いなくずいぶん違ってくる。最近は、AIの進化により自動翻訳の精度が格段に上がったのだから、翻訳テロップをつけないサイト制作者は怠慢の誹りを免れないだろう。



2024年7月5日(金)



DOの「うっせえわ」しかし、今回のは、大人全般というよりも、ネットでクソリプ?をする連中に向けての「うっせえわ」のような気がする。大人全般ということなら、ADOはそこまでラディカルな人じゃないだろうし、歌詞がありきたりに聞こえてあまり面白くない。「期待に答えてる感」があるのである、デビュー作の「うっせえわ」よりヘビメタ度が増していて、その点はすごいと思った。



2024年7月15日(月)



ADOの新しいアルバム「残夢」から 0。新しい曲が4、5曲入っているが、どれもすごい。やっぱりADO は天才。これなんか、Kpop なんだけど、Kpopを超えている。



2024年8月3日(土)



◇ワンピース・フィルムレッド 映画感想文 ※タネアカシあり


映画配信サイトで鑑賞。ADOが挿入歌を歌った「ワンピース」のスピンオフ篇。挿入歌全7曲が、ビルボードトップ10入りするという快挙を成し遂げている。(米国を除いた「グローバルチャート」だが)。自分は強烈なADOのファンだが、ジブリ以外のアニメには全然興味がなく、原作の漫画も読んだことがない。今回、配信サイトでたまたま見つけたので、見てみたのである。(別にジブリ信者でもない。念の為。)


はちゃめちゃなストーリーにたまげたが、今の、日本のアニメの全体的なレベルの高さを感じさせる映画だった。普通のストーリーでは、アニメファンを満足させられなくなっているのですね。ADOが歌を担当する「全世界を魅了する歌い手」UTA が物語の主人公なのだが、この娘が単純なヒロイン、世界を歌で救う救世主ではないのですね。この映画を見て、自分くらいの世代は、戦後史に残るテロ事件を起こしたある宗教団体の「ポアの思想」を思い出すのではないか?ちょっと怖い話なのである。


「ワンピース」は、能天気な冒険ストーリで、話の辻褄も「ほぼ無理やり」なのだが、基底をなしている世界観は、単純なものではないようだ。ルフィ等海賊グループの敵対者である「世界政府」「海軍」など、ただただ人民を圧迫、弾圧する圧政者ではなく、「海賊世界」の混乱を治めるための必要悪的存在でもあるようなのである。この辺り、単純な勧善懲悪の世界観を良しとしないジブリ映画の影響を受けている気もする。作品の完成度では遠く及ばないけれども、出たとこ勝負の連載漫画が原作である以上、これは仕方のないことかもしれない。


ADOの公式サイトから「新時代」を引用しておく。挿入歌全7曲、手を変え品を変え、全て素晴らしいので、公式サイトで聞くことをお勧めします。ADOの才能の多様さ・・・多様なだけではなく、それぞれのジャンルでの驚くべき完成度の高さが、よくわかる構成になっています。アニメ映画の方は、ま、あえて見る必要もないでしょう(笑)それに、この色彩感覚、ある年齢以下の子供には、ちょっと危ないのではないか?


ではでは



2024年8月14日(水)



「永遠のあくる日」ADOの歌だからいいに決まってるんですが、頭の数小節、ビートルズの歌に似てますよね。なんの歌だか思い出せないんですが。


しかし、ADOの地声高音は本当にすごい。0050あたりで、わあーっとベルティングボイスになる時、今年、還暦の自分でも鳥肌が立つんだから、年頃の女の子が聞けば普通泣くでしょう。自分が見たユーチューバーの女の子も泣いてました。


この歌の歌詞、なんか変だなあ、と思うところもあるんですが、非常に言いたいことがある歌詞のように思えるんですよね。ガラパゴス日本の、空気読め的に目配せする感覚で作るんじゃなくて、普遍的なものに挑戦しようというど根性があるというか。こういう歌詞が、海外で受けるんだと思いますね。翻訳で勘違いされたり、粗が目立たなかったする面もあるとは思いますが。作詞、作曲は、ボカロP(ボーカロイドプロデューサーの略らしい)の「てにをは」という人。「ギラギラ」を作作曲した人だ。


ところで、しつこいようですが、出だし、有名な洋楽に似てませんかね。思い出せなくて気持ち悪いんですが。



ではでは



2024年8月14日(土)




なるほどー。でも、ADO が歌わなければ、あんまり、意味ない歌でしょうね。



2024年8月27日(火)



ミックス前のボーカルだけのトラック。こういうものを初めて聞いた。しかし、ジャーニーの初代ボーカル、スティーブ・ペリーの声、すごいですなあ。そして、この歌詞、


Just a small town girl

Livin' in a lonely world

She took the midnight train going anywhere


Just a city boy

Born and raised in South Detroit

He took the midnight train going anywhere


風車小屋の前で絶叫する三船敏郎ではないが、「これは俺だ、俺もこの通りだったんだ!」と思う人が、多いのではないか。それほどドラマチックな人生を生きたわけではないが、誰しも、Midnight Train に乗る瞬間はあるわけだ。


また、このジャーニーの代表曲の歌詞が、母親を早く失い、マニラのあの排気ガスのこもった巷を、ストリートキッドとして生きてきた、このバンドの二代目ボーカル、アーネル・ピネダの生い立ちに、ピッタリハマったのですね。



数年前、コロナ下で収録された、アーネルとタカの共演、この安定した感じのアーネルを見るとなんか感動する。


おまけ、Don’t Stop Believin’ アーネルバージョン。マニラでのコンサートで。ブリッジで、自分の人生遍歴を盛り込んである。



ではでは





※ADO遍歴(2023)


※埋め込みは全てADOの公式 YouTube から。


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