八原は、国家の非常事態に、バンコクを留守にして、連絡先も明確にせず東部への視察に赴いたピブン首相の意図をこう推し量る。
「ピブン首相はこういう事態を前もって予測していたのではないか?日本軍が侵攻してきた場合、自ら東部国境に赴き、直接指揮をとって早期収拾を図ろうとした可能性はある。第二の可能性として、ピブン首相は事態がここまで切迫しているとは思わずに、偶然、東部の部隊を視察に赴いたちということもありうるだろう。しかし、それならばバンコクにいる閣僚との連絡を確保していたはずだ。私の個人的な意見だが、ピブン首相は、戦争政策を決断するための時間稼ぎ、考える自由を得るために、あえて連絡を困難にしたのではないか。いいかえれば、ピブン首相は、日本軍の侵攻にあたって事態の推移を見守るために、バンコクを留守にしたのではないかと思う。これは私の仮説にすぎないが」
「会議室のなかで、ピブン首相は、南タイに上陸した日本軍の計画にじっと耳を傾けていた。首相の顔には、悲しそうな表情が浮かんでいたが、衝突が起これば被害が出ることは避けられない、という点では我々に同意した。私には、それが一国の指導者としてふさわしい態度だと思えた」
「実際のところ、両国のリーダーたちは、南タイにおける日タイ両軍の戦闘の詳細や損害の程度について承知していなかった。そのころ、日本側だけでも数百人の人的損害が出ていたのである。その時、我々は、タイ側も 南タイの戦闘の状況について知らないことに、疑いを持たなかった」
「しかし今これを書いている時点では、実際は、ピブン首相は、南タイでの戦闘について部隊から報告を受けていたのではないかと疑っている。タイ側の抵抗が、ピブン首相の計画の一部であったということも可能である。タイ側は日本軍の侵攻を迎え撃つ準備をしていたのではないか?しかし、前線から、持ちこたえられないという報告を受けて、ピブン首相は停戦を決断したのではないだろうか。」
「いずれにしろ、南タイでの戦闘は、イギリスに対し友好的な意思を示すものという側面が強いだろう。日本の敗戦のあと、このように抵抗したことで、タイ側は政治的利益を受けることができたのである。これは、あくまで私の仮説にすぎない。」
「ピブン首相のこの言葉で、日タイ間の協力関係は確定的となった。現在、喫緊になすべきことは、新しく生まれた状況に即応することだった。バンコク入りする近衛師団に至急、日タイ間の合意を知らせることである。ピブン首相はこの事を側近に言い、私にも Colonel Yahara と呼びかけて、事の次第を伝える任務を私に託した。私は第15軍の参謀でもあったからである。」
ピブン首相から直々の命を受け、八原は会議を途中で抜け出して、東部国境に向かうためドンムアン空港に向かう。そこで、タイ警察のとの一触即発の危機を切り抜けて、第15軍向けの物資を届ける日本航空の双発機に乗り込み、タイ側と第15軍との間に戦闘が起きていないことを、自らの目で確認する。バンコクへ向かう隊列は、6,7キロにも達する長大なものだった。日本軍の飛行機だと知った兵隊が手を振ってくる。八原は「タイ政府は日本軍の平和的進駐を容認した」と書かれた命令書が入った通信筒を、上空から投下した。東部での戦闘の危機は回避されたのである。
翌12月9日早朝、タイ側の抵抗を受けることなく、近衛歩兵師団は無事バンコクに到着する。その数日後、八原が見たのは、駐屯軍司令部を訪れたピブン首相の満足そうな笑顔だった。以下、八原手記から。
◇ピブン首相の「会心の笑み」
「12月9日の夜明けごろ、近衛師団はバンコクに到着し、ルンピ二公園に全軍が集結した。ルンピ二公園は平常ならばバンコク市民の憩いの場所だが、今は、日本の兵隊であふれかえっていた。」
「平時ならば、公園に隣接する商家からタイ語の歌が聞こえてきて、私を夢見るような気分にさせたものだったが、今日はその歌声は突然姿を消し、私を味気ない思いにさせた。タイ語の歌を聞くのが、私の楽しみだったから」
「この数日間で、日タイの軍事協力に関する協定が正式に合意され、第15軍の司令部も、当初のThailand ホテルからチュラロンコーン大学のキャンパスに移っていた」
「それから数日後、ピブン首相が、タイ軍幹部を引き連れて駐屯司令部を挨拶に訪れた。まだ司令部が移動したばかりの初期の頃だから、両国の軍指導者が顔なじみになり、お互いへの理解を深めるための訪問だった」
「その頃、司令部参謀室の机には戦略地図が貼られており、地図には日本軍の戦略的要地が記されていて、第25軍の戦果が一目了前だった。また、マレー開戦での勝利も電報で伝えられてきた。」
「日本側は、ピブン首相とタイ軍の幹部を参謀室に案内した。日本軍の各地での勝利を知らせるためである。日本軍による戦果は、机上の地図と電報に明らかであった」「その時私は、ピブン首相の口角に満足そうな笑みが浮かび、喜びをあらわにするのを見たのである。首相の態度には、日本側につくという自らの決断への自信があふれており、嬉しそうであった」
「日本側の司令官が『タイ国は日本の同盟国となったのだから、日本軍兵士はタイ国民に友好的に接する』と発言し、『もし日本兵がタイ人から盗んだり、恫喝や暴行を加えたりして、日タイ間の友好を傷つける行為をなせば、重罰をもって厳格に処断されるでしょう』と続けると、ピブン首相は満足した表情を見せ、日本側に謝意を示した。」
「ピブン首相は、戦争前は、中立政策をとり、日英間のバランスを保っていたが、戦争が始まれば日本との同盟関係に入った。この決断は、賢明かつ適切であり、首相自身の政治目的にもかなっていたと思う」「日本軍の緒戦の勝利は、そのピブン首相の判断が適切だったことを、見事に証明して見せたのである」
参考