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2024年2月25日
瀬戸正夫インタビュー①前
日本軍の軍属スパイを父親にタイに生まれ、バンコクの日本人学校で皇国教育を受け、日本の敗戦後は無国籍者としての苦渋を舐めた瀬戸正夫氏。氏は、戦後、日本国籍を求め続けるが、日本政府に国籍取得を拒否され、タイ国民ヴィワット・シータラクンとして生きることを選んだ。朝日新聞バンコク支...
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2024年2月24日
瀬戸正夫インタビュー①後
瀬戸正夫インタビュー①後半。バンコクで終戦を迎えた瀬戸さんは、タイ生まれの日本人として、タイに留まりながら日本国籍を取得する道を選択する。父・久雄さんは戦犯容疑でシンガポールで勾留されており、瀬戸さんは継母テルさんと二人で、国籍を持たない敗戦国民として多難な戦後の歩みを始め...
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2024年2月23日
瀬戸正男インタビュー②〜バンコク日本人学校の戦争(その一)
1939年、二年遅れて8歳でバンコク日本人学校(当時バンコク尋常小学校)に入学した瀬戸さんは、親元を離れて一人バンコクに暮らすことになった。1941年12月8日、太平洋戦争が始まると、日本人学校は戦争一色に染まり、瀬戸さんも「タイの少国民」の一人として皇国思想を叩き込まれ、...
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2024年2月22日
瀬戸正夫インタビュー② 〜「平和進駐」の夜(その二)
太平洋戦争開戦前日の12月7日、バンコク日本人会は「映画の夕べ」を開催し、在留邦人に参加を呼びかけた。真珠湾への奇襲を目論む日本軍が、情報を秘匿しながら邦人婦女子を一か所に集めて安全を確保するための苦肉の策だった。当時10歳の瀬戸さんも映画会でラブロマンスを鑑賞した後、現地...
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2024年2月21日
瀬戸正夫インタビュー②〜 少年兵瀬戸正夫(その三)
開戦後、日本人学校の生徒たちは熾烈な軍事教練の日々を送る。同学年の生徒より二つ年かさだった瀬戸さんは、とりわけ厳しい訓練を科せられた。一日中海で泳がされ、疲労のあまり気絶して医務室で目を覚ますこともあった。大人と一緒に訓練を受ける時は、容赦無くビンタが飛び、小柄な瀬戸さんの...
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2024年2月20日
瀬戸正夫インタビュー②〜軍属諜報員瀬戸久雄(その四)
瀬戸さんの父親、瀬戸久雄さんは、20代初め南洋に夢を託してシンガポールへ渡航。マレーシアのゴム農園で英国人に雇われながら医業を習得し、タイのプーケットで薬局兼医院を開業する。1931年、現地のタイ人女性との間に正夫さんが生まれるが、その年、満州事変が勃発、中国系住民の多いプ...
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2024年2月19日
瀬戸正夫インタビュー③前編〜日本人でもタイ人でもない私
瀬戸さんの父親・久雄さんは、タイ南部ソンクラーで医院を営む町医者だったが、日本軍の進駐が始まると軍属スパイとしての正体を表した。軍からの信頼が厚かった久雄さんは、日本軍のマレー侵攻に同行するが、出発前に軍の命令で、捕虜となった米軍パイロット三名を処刑する。戦争終結後、戦犯容...
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2024年2月18日
瀬戸正夫インタビュー③後半〜父との決別、言い残したいこと。
終戦後、敗戦国民としてバンコク郊外の収容所で暮らす瀬戸さんは、タイ生まれの日本人として、日本国籍を持ちながらタイに留まる道を選択する。捕虜殺害の容疑が晴れ日本に戻った父親とも連絡が取れ、瀬戸さんは、日本政府に、度々国籍申請を行うが、出生届が存在しないことがネックとなり、なか...
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2024年2月13日
ADOの「うっせえわ」にタイ語バージョンがあった!
ADOの「うっせえわ」タイ語バージョンがあった。後で、日本語に訳してみよう。タイの若い人はどういう事に「うっせえ」と思っているのだろうか、興味がある。 ※字幕をざっと読んでみると、なんと、ほぼ直訳だった。この辺が、このバンドの弱さではないか。もの言えば唇寒し、というのがこの...
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2024年2月8日
アジア日誌 「朝、象が来た」
2024年1月28日。朝、象が来た。スリン県のチュンポンブリー郡から。スリン県はタートゥム郡の象センターが有名だが、彼の住む村には大きな観光施設がないという。だから、こうして、村の行事などに呼ばれて出稼ぎに来るわけだ。牙の綺麗な、多分、まだ比較的若い象で、チップもあげないの...
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2024年1月19日
【再掲】タイフォークの名曲~カラワンの「あなたに花を届けよう」歌は、ポンシット・カムピーで。
※昨年7月8日に投稿。多少加筆あり。 喜納昌吉の「花」、タイのカラワンというフォークグループが、タイ語にして歌っている。題名は、「あたなに花を届けよう」。邦題は、今、自分がつけた。 まずは私の拙訳。歌は、ポンシット・カムピーで。 題 あなたに花を届けよう...
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2024年1月14日
アジア日誌「村落幹線道路4002」
2024年1月14日 GoPro Hero 12で撮影。普通モードで撮っていると思っていたら、いつの間にか早回し撮影になっていた。村から、一番近いスーパーがある街道までおよそ8キロ、ママチャリで35分くらい。時速15キロほどだから、自転車の平均的スピードで走っていることにな...
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2024年1月13日
アジア日誌「乾季恒例、ナマズの掴み取り」
2024年1月13日。米の収穫の後、農閑期のイサーンの農民の楽しみとして、この「ナマズの掴み取り」がある。田畑に隣接した溜池の水をポンプで汲み上げ水抜きをして泥に腰まで浸かって魚を掴み、あるいは掬い取る。獲れる魚は、主に、ナマズ、雷魚、それから、前の天皇陛下がタイに導入した...
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2024年1月1日
【再掲】象観光を生み出した一枚の写真
By Hideki AKIYAMA (象センターにかかる「象狩り」の写真 スーリン県タートゥム郡) Elephant Round Up (象狩り)と呼ばれる一枚の写真。半世紀以上前に、「象の村」があるスリン県タートゥム郡で撮影された。スリン市内のティパオーン写真店の...
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2023年12月28日
注目クリップ~タイ的な、あまりにもタイ的な「ナーガの火の玉」の真相
※2021年8月11日に投稿。最新の情報を少し加えて再掲。 みなさんは「メコン川の謎の火の玉」という現象をご存知だろうか。 毎年10月から11月にかけての最初の満月の日(雨安居明けの日、仏教の祝日である)、メコン川から火の玉がうちあがる怪奇現象である。この現象が起こるノン...
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2023年12月28日
【再掲 訂正あり】タイ懐メロの名曲~「天上のフロアーで」(タイ生命保険の広告、その他より)
By Hideki AKIYAMA 2021年4月21日に投稿したものを訂正して再掲する。前のものは歌の題名を「ブーゲンビリアのフロアーで」と訳していた。 日本でも少しだけ知られているタイ生命保険のコマーシャル。この広告シリーズの感動の押し売りには辟易させられることが多いが...
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2023年12月21日
【再掲】岐路に立つ国技ムエタイ~庶民のギャンブル場からの脱皮を目指す(CGSのセミナーから)
※2021年7月7日投稿したものを再掲する。 内容は、6年前に開かれたムエタイとギャンブルとの関係を考えるシンポジウム。ギャンブル依存症問題に取り組む専門家の他、オリンピックでタイに初めて金メダルをもたらした国民的ヒーロー、ソムラック・カオシンがパネラーとして出席している。...
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2023年12月21日
【再掲】タイ保健ボランティア制度が生まれるまで〜あるエリート官僚の回想(医療雑誌 HFocus のインタビューから)
By Hideki AKIYAMA ※以下の記事は、2021年6月2日に投稿された。タイの保健ボランティアは、コロナ流行の当初、ウィルスの情報提供、手洗い、マスク着用の奨励、検温、感染者の早期把握などに活躍し感染拡大の阻止に貢献した。多くは高齢者からなる、地域に密着したボラ...
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2023年12月15日
【再掲】替え歌「蛍の光・同窓会勧酒編」〜原曲は旧友との再会を喜ぶ乾杯の歌なのだ!
替え歌「蛍の光」~同窓会勧酒編 年末のカウントダウンで流れる曲「蛍の光」、原曲は、久しぶりにあった友人にビールを勧める歌だ。以下スコットランド民謡 Auld Lang Syne の英訳とその日本語訳。日本語では「久しき昔」と訳すらしい。 Should old...
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2023年12月15日
【再掲】軍事クーデタがミャンマー国境の犯罪地帯化に拍車。(USIP報告書)
※2021年4月26日に投稿した記事を再掲する。 同年4月21日付で発表されたUS Institute for Peace (USIP) のリポート抄訳。この報告書は、軍事クーデター後の混乱が、少数民族ゲリラと中国マフィアの結託を容易にし、ミャンマー国境地帯での違法ビジネス...
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