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2024年8月15日
瀬戸正夫インタビュー<ダイジェスト①〜⑤>
瀬戸正夫さんインタビュー①〜バンコク日本人学校の戦争」 朝日新聞バンコク支局でカメラマン、記者として活躍した瀬戸正夫さんは、軍属スパイだった父親とタイ女性との間に生まれた日泰混血児。終戦後、戦犯容疑者となった父親と離れ離れになり、出生時の手違いから日本国籍も認められず、無国...
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2024年3月14日
アジア日誌「瀬戸正夫さんインタビュー〜父親との別れとバンコク邦人疎開計画」」
瀬戸正夫さんインタビューダイジェスト版の5回目。今回で一応、最終とする。このインタビューは、前のものから2年後の2023年7月16日に撮影された。瀬戸さんは92歳となっていた。 最終回は、慕っていた父親との予期せぬ別れ、戦後になってから決別に至った経緯と、敗戦の夏に進んでい...
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2024年3月5日
アジア日誌「瀬戸正夫さんインタビュー〜開戦の夜」
瀬戸正夫さんインタビューダイジェストの4回目。 太平洋戦争開戦前日の12月7日、バンコク日本人会は「映画の夕べ」を開催し、在留邦人に参加を呼びかけた。真珠湾への奇襲を目論む日本側が、情報を秘匿しながら邦人婦女子を一か所に集めて安全を確保するために考えた苦肉の策だった。当時1...
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2024年2月29日
アジア日誌「瀬戸正夫さんインタビュー〜軍属スパイ瀬戸久雄」
瀬戸正夫さんインタビューのダイジェスト3回目。今回は、マレー侵攻の起点ソンクラーで、日本軍の諜報活動に中心的な役割を果たした、父、瀬戸久雄さんの思い出を語ってもらった。 久雄さんは、二十の頃大望を抱いてシンガポールに渡り、その後、英領マレーの農園を転々としながら、現地の言葉...
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2024年2月28日
アジア日誌「瀬戸正夫さんインタビュー〜タイ『平和進駐』の真相」
瀬戸正夫さんへのロングインタビューから抜粋、その②。今回は、通常「平和進駐」と呼ばれる日本軍のタイ国進駐について、その実態を語ってもらっている。 日本軍の軍属スパイだった瀬戸さんのお父さんは、マレー上陸作戦の起点だったタイ南部のソンクラーで医院を営みながら、密かに情報収集に...
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2024年2月27日
アジア日誌「瀬戸正夫さんインタビュー〜バンコク日本人学校の戦争」
朝日新聞バンコク支局でカメラマン、記者として活躍した瀬戸正夫さんは、軍属スパイだった父親とタイ女性との間に生まれた日泰混血児。終戦後、戦犯容疑者となった父親と離れ離れになり、出生時の手違いから日本国籍も認められず、無国籍者として数々の辛酸を舐めた。戦後しばらくしてからタイ国...
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2024年2月25日
瀬戸正夫インタビュー①前
日本軍の軍属スパイを父親にタイに生まれ、バンコクの日本人学校で皇国教育を受け、日本の敗戦後は無国籍者としての苦渋を舐めた瀬戸正夫氏。氏は、戦後、日本国籍を求め続けるが、日本政府に国籍取得を拒否され、タイ国民ヴィワット・シータラクンとして生きることを選んだ。朝日新聞バンコク支...
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2024年2月24日
瀬戸正夫インタビュー①後
瀬戸正夫インタビュー①後半。バンコクで終戦を迎えた瀬戸さんは、タイ生まれの日本人として、タイに留まりながら日本国籍を取得する道を選択する。父・久雄さんは戦犯容疑でシンガポールで勾留されており、瀬戸さんは継母テルさんと二人で、国籍を持たない敗戦国民として多難な戦後の歩みを始め...
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2024年2月23日
瀬戸正男インタビュー②〜バンコク日本人学校の戦争(その一)
1939年、二年遅れて8歳でバンコク日本人学校(当時バンコク尋常小学校)に入学した瀬戸さんは、親元を離れて一人バンコクに暮らすことになった。1941年12月8日、太平洋戦争が始まると、日本人学校は戦争一色に染まり、瀬戸さんも「タイの少国民」の一人として皇国思想を叩き込まれ、...
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2024年2月22日
瀬戸正夫インタビュー② 〜「平和進駐」の夜(その二)
太平洋戦争開戦前日の12月7日、バンコク日本人会は「映画の夕べ」を開催し、在留邦人に参加を呼びかけた。真珠湾への奇襲を目論む日本軍が、情報を秘匿しながら邦人婦女子を一か所に集めて安全を確保するための苦肉の策だった。当時10歳の瀬戸さんも映画会でラブロマンスを鑑賞した後、現地...
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2024年2月21日
瀬戸正夫インタビュー②〜 少年兵瀬戸正夫(その三)
開戦後、日本人学校の生徒たちは熾烈な軍事教練の日々を送る。同学年の生徒より二つ年かさだった瀬戸さんは、とりわけ厳しい訓練を科せられた。一日中海で泳がされ、疲労のあまり気絶して医務室で目を覚ますこともあった。大人と一緒に訓練を受ける時は、容赦無くビンタが飛び、小柄な瀬戸さんの...
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2024年2月20日
瀬戸正夫インタビュー②〜軍属諜報員瀬戸久雄(その四)
瀬戸さんの父親、瀬戸久雄さんは、20代初め南洋に夢を託してシンガポールへ渡航。マレーシアのゴム農園で英国人に雇われながら医業を習得し、タイのプーケットで薬局兼医院を開業する。1931年、現地のタイ人女性との間に正夫さんが生まれるが、その年、満州事変が勃発、中国系住民の多いプ...
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2024年2月18日
瀬戸正夫インタビュー③後半〜父との決別、言い残したいこと。
終戦後、敗戦国民としてバンコク郊外の収容所で暮らす瀬戸さんは、タイ生まれの日本人として、日本国籍を持ちながらタイに留まる道を選択する。捕虜殺害の容疑が晴れ日本に戻った父親とも連絡が取れ、瀬戸さんは、日本政府に、度々国籍申請を行うが、出生届が存在しないことがネックとなり、なか...
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